さて、皆さんは過去をひきずるタイプですか?


最近の私はちょっと割り切れる?性格に変わりつつあるのか?自分では


よくわからないけど、わからないなりに少しは大人になれている気がする。


(大人になるってどういうこと?というメンドーな質問はしないでください)



以前の私、過去をズルズル~~と引きずるタイプでした。


それはありとあらゆる事柄に対してであり、特別「恋」だけでは無く。



たとえば、、


中学校に上がったら、小学校が懐かしく恋しく、中学校帰りに小学校へ寄り


用務員のおばちゃんの居住しているお部屋に入れてもらって「あられ」なんかを


炒ってもらったり。。(用務員のおばちゃんは小学生のときにお友達みたい


に遊んでもらっていた。)



そして高校に上がったら、中学校が懐かしく恋しく、高校帰りに中学校へ寄り


後輩に会ってお話ししたり。(後輩とはとても仲良く在校当時はおしゃべりとか


していた)



そして、お嫁に行ってからは、、自分の実家の近くにあるような(似た感じの)


スーパーマーケットで買い物をしたりした。



・・・ちょっと病的でもある(笑)


さて、そんな話をしようと思ったのではない。(読んでもらって、そのセリフ・・(;^_^A汗



(過去において)そんな、出会ったことや心が動いたことに依存し、それらを


引きずる私と違い、母は割とクールなタイプだ。


クールといっても何も感じていないのとは違い、一つ一つの事柄を完結して


次へ進む?というのか、あまり「感傷」に浸っているのを見たことがない。



そんな風に見える母が先日、意外なことを言った。



母の夫、私の父はこの春、地上の生涯を終えたのだが、、父は数年前、認知症の


症状が出て、身体の弱い母が辛抱に辛抱を重ねて介護をしているのを私は見かね、


特養へ入所したのだが。



母と兄、母と私、時には 母と兄と私で父の顔を見にいったものです。(あ、ここから「です」


「ます」になります(笑))



あれ?何だっけ・・


母が意外なことを話した、に戻りますね。(笑)


(母はバスに乗って少し遠くのスーパーマーケットに行くことがあります。そこは父の居た


特養の近くです)


「バスはね、まっすぐスーパーに向かうのやのうて、ぐるっと遠回りして戻るようにして


 スーパーに着くのや。それでしののめ(特養の名前)の前通る時、お父さん居るか~?


 と必ず、しののめの方を見るのやけど、お父さんもういいひんのやな~って思うの、


 不思議やなー」


これはもし私が母の立場だったら、当然そういう思いを持つと思うけど、


あの一見感情にほだされない母がそう言ったので、その言葉は私の脳裏に残ったのです。




で、最近思い出したのです。


父と母と一緒にスマホのYou Tubeを聞いたり、歌を歌ったり、時には聖書を読んだりした


あの空間の穏やかさを。特養のロビーでのひとときを。



「二人または三人がわたしの名によって集まるところには わたしもその中にいるのである」

                                    (新約聖書マタイによる福音書18章20節)


面会している時は、自分の両親といるから気を使うこともなく安心しているから、こんなに


穏やかなんだ・・ぐらいにしか感じていなかったけど、



あそこにはイエスさまも共に居てくださったのだな、と思いました。


そう思うと、結構いろんな場面で、主なるイエスさまのお心というか、まなざしがあったんだな、


と振り返れることが多いですね。



それはたとえば、、とても単調で面白みの無い日々の出来事などでも、後から振り返れば


恵まれたひとときだったと思える場面もありますし、


または非日常的な出来事からも感じることもあります。



こちらが意図的にそういうひと時を作ることはたぶん出来ないかもしれませんが、


つまらない、と思えるような一時も大事に過ごしたいな、などと最近感じます。



かなり長かったですね。


「よく、がんばって読んだで賞」を差し上げます。べーっだ!