ニニロッソのソレアード、父の好きな曲だった。

父は枠にはまったようなチマチマしたことが(おそらく)好きではなかった。

雄大なものに心を向け、口先とか小手先といった手の技?みたいなものが

(おそらく)好きでなかった。というか、目を留めなかったのかもしれない・・


父は(おそらく)孤独だった。まさか自分で「孤独です」などとは当然言わないが

全身から孤独オーラが漂っていた。少なくとも私にはそう見えた。


父は家族を愛し、真面目で、が、しかしユーモアもあった。

意外性のあることを言ったりしたりして、私がケタケタ笑うと、なんとも嬉しそうに

顔をほころばせた。

それでも私にはそんな父も孤独に見えた。

父の笑い顔を思い出すとき、どうして泣けてくるのだろう。

まだ亡くなって半年も経たないからか。


そうだ、父が亡くなってまだ4か月と少々だ。

その間、私の思いも揺れに揺れ、生活も何かと毎年とは違う色々なことが

あった。

一つ一つが独立した出来事のようだが、なんとなく一つの流れのようにすら感じる。


私は少なからず変わってきている。変わろうと努力をしているようであり

すでに変わるときが備えられていたようにも思われる。


なんの確信もないのだが・・

もしかしたら、それは父の死が大きかったのかもしれない。

亡くなったとき、葬儀のとき、意外にも保たれている自分自身を少し

怪しんだりした。

あんなに愛していた父なのにこうも冷静なのか?と。

当時はひたすら、父の死に向き合っていた。亡くなるまでの数日の父の様子が目に

焼きついている。


だが私は、泣き叫ぶということは無かった。


今、思う事。

泣き叫ばなかったことは、それは私の中であまりに大きな出来事であったためでは

ないか?

その後、人生における心のありかたを振り返る機会があったが、

これとても、父が亡くなったそのことと切り離せない時期であったのではないか?

と感じてもいる。(よくわからないが)


ソレアード、

4か月前とどことなく違った音色に感じる。

私は変わったのか?成長したと思いたい。。

(ちなみに長く独り言のような文章だ。読んでくれたらありがとう)