友人と市内で行われたとある講演会へ行ってきました。



女性の講師で、、彼女のお母さまが病気で、、彼女は大人になり医者になるのですが


専門は何科かというと、お母さまの患った病気の科なのです。




「私も苦しかったですが、こんな風に病気を受け止めて・・」などとは言わず、


淡々と静かな声で、苦しかったこと等を語るのです。


何が大事だとか、心掛けなどと言ったことは全く出てこない。



さて、これと似たような(?)本を最近、通っている教会の大先輩兄弟の紹介で


読んでみましたが


これまた著者のうめくような苦しみ悲しみをこれでもか!とばかりな文章が


続いていきます。



 涙とともに見上げるとき ニコラス・ウォルターストーフ(著) いのちのことば社





こういう?なぜ?どうして?こんな苦しい現実が自分に!


という(昨日の講演会の内容もそうですが)語りは、とても胸に心に響いてくると


思います。



「私が医者になったのを周りの人は、お母さまを診るため?と言いましたが、


 世間を見返すため、いじめた人たちを見返すため」と言われました。


そこまで言うぐらいですから、、すべての語りは心の中を偽りなく語られている


ということがよくわかりますし、、それだからこそ、その人が「転機」となった


思いなどは、とても真実な言葉として、聞いているこちらにも心に残ります。



こういう、語り合いや、本が増えていったらいいですね。。



人生〇〇が大切!などという、一本付いたものより、なんぼか良いか


しれません!(なまいき)



また、人の悩みや辛さはそれが大きな病気とかでなくても、当人にとっては


とても大きく心を占めることだと思います。



イエスさまはこの地上の病気やうめきをつぶさに見られました。


人間の罪(十字架)を背負い、十字架に掛かられました。


映画パッションを観ると、これでもか、これでもかと苦しめられる場面が出てきます。



我らのたとえ小さい苦しみでも、これでもか、これでもか、と悩まされますので


我らの罪のさばきまでも愛する父から受けて忍ばれたイエスさま、我らの生きづらさを


知られるお方に感謝でありますね。