独り言だから、この記事をアップするかはわからない・・
消すかもしれない。
最近いつしか、こんな風に思うようになっていった
その前に、、私が中学生の時に、あるお姉さまが言っていた言葉で印象深かった言葉があった。
「愛しやすい人を愛するばかりでなく 愛しにくい人をも愛せよ」
その言葉は私の脳裏に残り、夏休みが終わり、学校が始まっても私はそのことを考え続けて
いた。
それで、クラスメートに「この言葉どう思う?」と聞いてみたけど、誰も、何言っているのかわからない・・
と言った風で、仕方なく保留にしてはまた考えていた。
あれから、ウン十年。。
今では「喜ばしい現実を喜ぶばかりでなく、喜ばしく思えない現実をも感謝しよう。。」のようなちょっと
語句を入れ替えてみたりと、自分も色々なところを通ってきたものだ、などと思いつつ・・
さて、よく本などでこんなことを読んだことがあります。
もう八歩ふさがりで、どうしようもないピンチが実は、何かが変わるチャンスだった!ということ。
ダメだ!と思った機会が、人を変えるチャンスになったとか。
今日も礼拝で思ったのですが、、
私が実に神さまに心を向ける、神さまの存在を知るためには、イエスさまのピンチどころか、
イエスさまが命を捨てられたからこそで、そこに罪の深さ、そのことへの神さまの愛の御業を
有り難く、深く感謝な思いを持たせていただきました。
あれ・・・書こうかな、と思っていたことと違う方向に話が・・!
そうそう!こうまでして愛された自分、受け入れてもらった自分でありますが故、
自分で「選り好み」をして愛するのは違う!と思ったのです。
聖書にも汝の隣人を愛せよ、と書かれてあります。
そう思い、そのように在りたいと願い祈っていますと、愛とは「意志」でもあるんだな。
と思われてきます。
まだこれからですね。滅入ってなどいられない・・一歩一歩歩んでいこうと
思いつつ、、の独り言。