ブログネタ:落ち込んでいるときは1人でいたい?誰かといたい?
参加中私は1人でいたい 派!
本文はここから
再び、このデザインに戻しました。
あの、「禁断の木の実」を思わすような黒基調のデザインは
とても読みずらかったのではないでしょうか?文章がくどい上に
あのように、黒のバッグに白抜き文字では内容が頭に入りません![]()
書いた本人が読みずらいのですから、皆さんにはどれほどか!?と思いましたので
ちょくちょく変えて移り気のようですが、こちら(白雪姫)に戻しました。
さてこれで、はい、さいなら
では手抜き?のようですので、
ブログネタで書いてみたいと思います。
あまり、落ち込むことはないと思いますが、、週に一回人のお見舞いに行っていまして
その帰り道は直で帰宅する気持ちにはなれません。
また、悲しいのだか辛いのだか何なのだかわからない複雑な気持ちに
なりますので、近所の人が「あら~~ミィちゃん![]()
」などと声のかからない
隣町のスーパーマーケットで買い物をしてきます。
そして何か考えるでもなく、ゆっくりカートを押しながら店内をぶらぶらして
平常心(?)に戻るべく、帰宅しても「ただいま~♪」とまで言えるように時間を
稼ぎます。
ところで、、悲しみとは何でしょうか?
・・そんなことは質問するまでもないでしょう?と言われるでしょうか。
では、こんな使われかたをしているのはどうでしょうか?
一生懸命作ったキャラ弁?が、通勤途中や通学途中でカバンの中で
揺られてせっかくのピカチュウ(古い?)が崩れてしまった時、、
「やだ~めっちゃ、悲しい~」
または、ケーキを購入して、少し揺すってしまい箱の中で崩れてしまった!
「なんか、悲しくね?」
など。
余談ですが、自分、たしか高校生の時に、南浦和方向から武蔵野線に
乗っていて、西国分寺で降りるはずが、一つ先の府中本町まで行ってしまい、
再び戻る電車をホームで待っている際に、寝てしまい
ケーキの箱を蓋部分を下にして
落したことがあります。
悲しいどころのさわぎではありませんでした。。(余談おわり)
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて、「悲しみ」について大胆な想像を述べることをお許しください。
イエスさまは「悲しみの人で病いを知っていた」と言われます。
私たちの教会で歌う讃美歌にも「悲しみの人よ 救い主よ」という歌詞の部分
があります。
また、十字架にお掛かりになる前に、裏切者のユダを先頭に捕える者たちの手に
渡されるのですが、その前にゲッセマネという所に祈りに行き
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」と数人連れて行かれた弟子に言われました。
さて、イエスさまはどんな悲しみを覚えられたのでしょうか。
私なんぞ、すぐに頭で考えてしまうのですが、、こののち、苦難に突き進むのが
辛くて悲しい!また、愛する弟子たちと、お別れするのが悲しい!というのは
人間的な考え(?)なのかもしれません。
本当のところは、私にはわかりません。
・・・では日常においてどんなときに、「悲しい」という気持ちになるかなと考えていましたら、、
とても大事にしている相手から、ギャフン!とい言うような応対をされたり、
こちらの思いがまるで通じないで、一歩通行のときなど、悲しいな。。と
思った経験があるのを思い出しました。
イエスさまは、神に従い、人を愛する生涯でしたのに、今まさに敵に捕らえられた後、弟子たちに
見捨てられるのです。そして十字架の上で神さまに打たれるのです。
そのことを予期してだったのでしょうか。
あくまで、私の想像ですが。
付け加えますと、十字架の上で、父神さまにイエスさまは打たれ、捨てられました。
それは私の(人類の)すべての罪、その(私には)払うことのできない負債に対する
神の怒りを受け、私たちの罪が赦されるためでした。
・・申し訳なくも感謝の思いですね。
