さて、漠然とした思いを文字にするのですから、、話がどちらに行くのかわかりません![]()
今日は余裕、について書いてみたいと思います。
さて、「イマイチだな~」と思われる例題は自分を例にとるのが一番かな?と
いうことで、その線で。(最近、いつも記事を途中まで書いてやめてしまうことが多いのですが、、
これははたしてアップするのだろうか。。)
自分、独身時代、けっこう余裕がありました。もちろん金銭面ではありません。
気持ち的な面です。(しかし、つきつめて考えたら、そんなヌルいお湯の中のような
状態に、ある種の「餓え」を感じていた、という内面もありましたが)
幸いなことに、愛情あふれる家庭で育ちまして、幼い日からずっとそうでしたので
何かを「疑う」ということが全くありませんでした。これは良いことでもあり、
また人間として欠落している何かを感ぜずにはおれませんが、そのことは今日は
無しで![]()
さて、そんな日々時に「空しさ」を感じることもありましたが、、「自分を受け入れてくれる」
家族に囲まれてますと、とても気持ちがデッカクて。(笑)
もう余裕だらけだったのかもしれません。だから人の「恋の悩み」に「しっかた、ない
ジャーン!」などと言って、ヒンシュクを買ったことは忘れられません。
そのころ、、自分を本当に好きになれなかったのは、何ゆえでしょうか。。
自分が何によって、ゆとりを得られているのかその本当のところがわからなかった
からでしょうか。
あら、今日書きたいことがなんだかわからなくなってきました。![]()
・・そうそう、自分には特別の個性も能力もないのに、家族はかけがいの無い存在と
して私を愛してくれました。それに感謝をすることもなく、なにか勘違いをして
自分、余裕だらけでした。
結婚後、とても有り難い環境に置かれていた、ということをイヤというほど知りました。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
さて、それから数十年した現在、こんな私にもかけがいの無い変わらない恵み、
信仰を与えられて生きています。
愛なる神さま、神を表されたイエスさま、そしてそのご生涯。
イエスさまは人の姿を取られてそして愛の人でした。自分中心にしか物事を
考えられない私を愛してくれました。そうして私という存在を許すために
十字架にお掛かりになり、父神さまに血を流して私と神さまの橋渡しを
してくださいました。
私の側には良きものや大きな声で申し上げることなど何一つ持ち合わせません。
ただ、恵みによるのですね。
私が心に余裕とか安堵とか、喜びを持つのは、このことによる、ということを
忘れずにいたいです。(悲しいかな、時に忘れてしまいます。。。)
書こうとしていたことと、少し方向が変わったようですが、、
これで今日は、終わり。