すっかりご無沙汰してしまいました。
あまり書きたいことはまとまっていないので、話がどちらにいくかわかりませんが
辛抱して読んでくださいまし。(まし?)
さて、9月に入っても暑さは続いてますね。このように暑いと、(もっと暑さの厳しい
地域や大変な災害にあっている方の困難さとは比べようもありませんが)
日常の用事をただ、黙々と、淡々と、こなしていくのでやっとこさ、の日々でした。
人は窮地に追いやられると本性が出るのか(?)
なんだかやけにブスッとした、あまり濃密に人とかかわりあいたくないような
わがままな本性が出てしまったのか
あげくの果てに
「そんな自分も嫌い!」という気持ちにまでなっていました。おー恐!(もちろん
自分のことです)
あ~あ、哀れなミィさん。自分にまで嫌われてしまいましたぁ~。
そんな時、ふいに、、私自身にまで嫌われてしまった私だけど、
イエスさまはこんな私を愛してくれているんだなと感じました。
有り難いです。自分けっこう、自分自身にやたら厳しいところがあり、
以前も罪に対してー、
たとえ誰が私を「許す」と言ってくださっても、私自身は絶対私を許さない!
と頑なに思ったことがあります。
それとても、人知をはるかに超えた神さまの御愛に触れて、日々癒されたの
ですけど、またしても「自分きら~い!」と思ってしまったのです。
どれだけ、「自分」が自分の中で強いんだ?と、あ~恐ろしや![]()
しかし、「イエスさまは自分自身にまで見放されたような私を愛してくれる!」と気が付き、
一転して嬉しい気持ちを抱いて、お買いものに行きました。
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「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ福音書15章34節)
イエスさまが十字架の上で叫ばれた言葉です。
人間のすべての罪にたいする「のろい」をその身に受けられました。
父神さまの愛するイエスさまは、イエスさまの愛する父神さまから
裁かれました。その裁きは私たちが受けるべきものでした。イエスさまは
身代わりとなられたのです。
神の子であるイエスさまはけっして「見捨てられる」ことはあり得ない存在
なのに、十字架に掛けられこのように叫ばれ、息を引き取られました。
私の身代わりと信じます。
クリスチャンはこのイエスさまの十字架の死を「わが為である」と信じ、
その後、甦られたことを信じ、新しい命が与えられたことを信じています。
イエスさまが初穂となられて、すべてが新しくなったと信じています。
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話がどこまでいくか?と思いつつ書きはじめたのですが、長くなりました。
また、色々と「気ままに」更新しますので、よろしくお願いします♪