クジラはどうして
さかなじゃないの?さかなはどうして
寝ないで平気なの?って聞いたって
パパは ママに 聞いてごらん
ママは パパに 聞いてごらん
やんなっちゃう おとなって ![]()
子供のころ、こんな歌がありましたね!
ふいに思い出しました。![]()
いつから人は「そういうものなんだよ・・」と言い出すのでしょうね。。
また、そういう「ちょっとしたこと」をいつまでも考えるおとなって、
どれほどいるのでしょう。
それとも、、(大人の)Aさんはこのことにはこだわるが、また別のことには無頓着、
BさんはAさんの無頓着なことにこだわるが、Aさんのこだわることには無頓着、
というように、おとなは自分の関心のあること(関わること)にだけこだわりを持つ、
(あとは省く)というように上手に(?)選択して生きているのでしょうか?
よくわかりませんが。
上の「クジラはどうして~」の歌。
幼い子供がパパとママに聞いているのでしょう。
子供は本当にパパかママに答えをすぐ引き出して欲しいのでしょうか?
こんなことを(ナゼ)朝から考えているのか、自分自身がナゾです。(;^_^A
昨夜のこと。。
とある集まりがあり、(この話は深刻なものでなく笑い話程度ですので
)
長いテーブルの端に月一で発行する「お便り」が積んでありました。
それに目を留めたとき、ふと不思議に思ったのです。
なぜなら、そのお便りは(たしか)平成24年、今から半年ほど前のもので
それがなぜ、そこに積まれてあるのか?と。
最近のお便りなら、余った分だな、とわかりますが、、半年も前のが何部も
あるなんて!!
そこで、近くにいたあるご婦人に
「ねえねえ、なんでこんな前のがここにあるのだろう?」と率直に聞いたら
「だれかが積んだんじゃない?」とのお答え。
いや、いくらトロい私だって、だれかが積んだからここにある、ということぐらい
わかります!
「そうじゃなくって!どうしてこんな前のが沢山あるんだろう!」と食い下がると
とても相手にしてられないという表情と同時に「さあねー」と語尾まではっきり
言わずに、お帰りの方に足は向いているのでした。
いえ、このご婦人がなんという素っ気ない!という話ではありません。
問題はいちいち子供のように疑問を発する自分の方で。
本当にちょっとした(本当にちょっとした)いわゆる一般の大人との違いを
感じる毎日なのです。
その昔、中学生のころのBFに(*v.v)に、
「ほかの人と違うよね。そこがいいのかな
」と喜んだらいいのかなんなのだか
わからないようなことを言われたことがありますが、、
その「ちょっとした違い」は時に寂しく感じることもあるのが実際のところです。
「クジラはどうしてさかなじゃないの、さかなはどうして寝ないで平気なの」
って、聞いたこどもは即答してくれなくても、
「ほんと考えたら不思議よねー」と言ってもらっただけでも
充分満足したのではないかな?と考えてみたりします。