特別・・何かわかった!とかさとった!とかという話ではありませんので。。


独り言としてよろしかったら読んでください。パー



何か辛い現実にあっった時、


お気持ちお察しします。とか


お気持ち、わかります。とか


その痛み、知っています。


などと慰めのお言葉をいただくことがありますね。



たとえば飼っている文鳥が(なぜ文鳥?)逃げて帰ってこなくなったと


します。その飼い主の友人も以前似たような経験をし、飼っていた鳩が


いつもは戻ってくるのに、なかなか戻らず、心配して諦めたころ戻ってきた、という


ことがあり、、



そんなとき、文鳥が戻らない友人に対して


お気持ち、お察しします。という言葉を言うのでは?と思います。



鳩が戻らず、とても心配した辛い経験があるからであり、、


もし、(鳩が)ついぞ戻らず仕舞いだったら


お気持ちわかります。となるかもしれません。(変なたとえです汗



では「その痛み知っています」とはどうでしょう?



旧約聖書のイザヤ書53章3節にこんなことが書いてあります。


「彼は侮られて人に捨てられ、


 悲しみの人で、病を知っていた。」


この章には「彼は」ということばが大変多く、


「彼」についてずっと書かれています。


全部ここに書きたいところですが、、「イザヤ書53章」で検索すると


出てきます。


ここを読んでいくと、、


あ~イエスさまのことだ!と(信じている人は)だれもがわかる箇所だと


思います。この


「悲しみの人で、病を知っていた」は以前から心が留まる箇所なのです。



「わかる」よりも(もちろん「察知する」よりも)ずっとよくわかる感のある(?)


「知っている」という言葉。



5節にはこんなことばがあります。


「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、


 われわれの不義のために砕かれたのだ。


 彼はみずから懲らしめをうけて、


 われわれに平安を与え、


 その打たれた傷によって、


 われわれはいやされたのだ。」


ここもありありとイエス・キリストの受難を思わせられます。



イエスさまは生けるのの地から取り去られ、墓に納められました。


(今はその亡骸は墓にはありません。福音書に書いてある通り


 天にあげられ、今も生きていると信じています)


われわれが負うべき罪の結果まで味わわれたイエスさま、


すべての痛み悲しみを「知る方」と信じなぐさめられるのです。