完全に独り言になると思います。構わない人は読んでください!



人は本当にそれぞれで・・


自分は強いと思う人、または強がっている人、そのようなことは


考えたこともない人、それぞれ。



逆に弱いと思う人、弱いと薄々感じている人、またはそうとは思いたく


ない人、それぞれ。



私事ですが、独身時代からどうあがいても強い側ではなく、


一見「姉御風」だったときも(恥!)、自己防衛でヒーヒー言っていた


んだな。。と振り返るとそのように思います。




さて、ひとことに「弱い」と言っても、何に対し、どう弱いのか?と


いうことも、これまた人それぞれだと思うのです。



昔、こんなことがありました。自分の家で犬を飼っていたのです。


なんで我が家に来たのか?どこからもらわれてきたのか?


(「買う」ような犬でなくチョー雑種!)私はほとんど知らなく、


また長く我が家で飼っていた記憶もありません。



でも庭に入ると足もとで「お帰り」「お帰り」とまとわりつつ挨拶を


してくれたのを覚えています。



その犬がある日突然死んでしまいました。庭では兄をはじめ


家族が穴を掘って埋めてあげているようです。


私はというと・・ワンちゃんの「死」が受け入れられず、その亡骸を


見ることがどうしても出来ず、たまたま母の故郷から遊びにきていた


祖母の近くでうずくまっていたのを覚えています。



そう、自分何かを受け入れるとショックを大きく受けてしまうので


それが恐かったのです。しかし大人となった今、「恐い」などとは


言っていられません。現実を直視しなければならないことだらけ。。




さて数年前、娘が何か映画を見てきて、、父親とその映画について


楽しげに話し合っていました。(好みが似ている)   その様子をみて


「どんな?どんな?お母さんも見てみたいな~♪」と言ったら


「お母さんには無理!絶対見られない場面がいっぱいあるよ!」と


娘に子ども扱い?されてしまいましたビックリマーク



・・・そのように言われても、「そうか・・そうだよな~」と納得するしか


ないのです(トホホ・・)この脆さに近い弱さ。



そう・・あえていうなら「ガラスの心」というのかしら~雪の結晶キラキラ


・・・パンチ!自分で何言ってんだぁ~~えっ



さて、だらだらと書いていますが・・


このところ思うことは、、なんだかちょっと違うぞ!今まででと違うぞ!


という感覚。


そう、これからもこれまでと同様、些細なことに心は揺れたり潰れたり


するでしょうが、、なんだかそれでいいんだ!という気持ちがわいてきます。



それは何ゆえでしょうか。。



私の見つめるイエス・キリストは十字架で死なれました。罪が無い方


が十字架で処刑されたのは、人間の罪のためでした。


しかし、イエス・キリストを神はよみがえらされました。



そこから来るのでしょうか?


私は恐れません。たぶん恐れないと思います。もしかしたら


恐れることもあるかもしれません。。(どっちだ!?)



長くなりました。。最後に新約聖書のコリント人第二の手紙


12章9節から


「わたしの恵みは あなたに十分である。というのは、わたしの力は


 弱さのうちに完全に現れるからである。」