独身のころ・・
夏休みには、小父のいるキリスト教会の中高生(小学生もいた)
のバイブルキャンプに誘われ何度か参加したものだ・・。
普段は住んでいる市内の教会に(かなりさぼりさぼり)通ったり
していたが、、ごくたまに叔母の住む教会にも行ったりしていた。
そんな感じだから、叔母の教会に通う中高生と仲良くなるほど
でもなく、キャンプに参加している子供たちとは
「はじめまして」状態の子がほとんどであった。
そのため、けっこう寡黙になり、皆の楽しんでいる様子を見て
それを一人楽しむ、というような孤独な楽しみ方をしていた。
そのようなキャンプであったのに、
この歳になっても、そのときの思い出は心に強く残り、
かけがえのない時間を過ごしたと、懐かしく思い出される。。
さて、(何度も書いた話である)
あるお姉さんがこんなことを言っていた。
「愛しやすい人を愛するばかりでなく 愛しにくい人をも愛せよ」
とはどういうことか?と。
私の内にこの言葉が印象的に残り、新学期が始まっても
「どういうことだろう・・」と友人たちも聞いてみたりした。
・・・たぶん誰からも、たいした返事が帰ってこなかった記憶が
ある。(;^_^A
現在、けっこうな歳となっているが・・
その間、愛しにくい人を愛そう!と試みたことが何度もある。
そう、自分で努力したのだ。
結果、うわべは「親しそう」な雰囲気はかもし出すことが出来た?
ぐらいか?、、心の中を見られる神さまからはそれが「愛」かどうかは
考えるまでもなく、NGが出されることだろう。。
さて、こんな人がいた。
なかなかの自慢しいで、その言動には皆が顔をしかめているような人。
話をしているとだんだんと自分の功績に話を持っていくという感じで。
ある日のこと、
その人がポロっと、自分の人に知られたくない?心の傷に触れる
ような事実を口にした。
そして、だから自分のようなこんな人間が出来ちゃったのかな~
と笑いながら言った。
その瞬間、その人の印象は私の中で変わった。(自慢したって
なんだってイージャン!ぐらいな)
愛しやすい人を愛するばかりでなく 愛しにくい人も愛せよ
この言葉がわからなかったが、、
たとえば、この自慢しいの人をも、「私の努力」で受け入れたのでなく
神が「愛するように」とセッティングしてくださったのか?と
思わざるを得ない。
「主はモーセに言われる『わたしは恵もうと思う者を恵み
あわれもうと思う者をあわれむ』」
新約聖書ローマ人への手紙9章15節
神の主権を思うのである。