さて、昨日は梅雨時期の貴重な晴れ間でした。
我が家は建築業なので、湿気を含んだ材木をだんなハンは、
立てかけて干していました。
そして、「午後、片付けておいてね」と言い残し、現場へ。
午後、買い物へ行く前に、片付けることに。(自分)
「よいしょ!」と抱えたら、けっこう重い![]()
引きずったり落としたりして汚してはいけない!と
腰をすえ、エッチラオッチラと、何往復もして仕事場へ運び入れました。
その後、用事を済ませに出かけたのですが、、
なんだか腰が痛い![]()
何でだろう・・?と、トロい自分は、今朝になって
あ~~~!昨日の材木を運んだからだぁ~σ(^_^;)と気づくことに。
私の場合、抱えて持ったのであり、どうやら肩に担いだらよかった
みたいで(今朝、そのようにだんなハンは運んでいた。。)
でも、もう後の祭りで、治るのを待つしかありません。(;^_^A
最近、めまいがどうのとか、耳鳴りがどうのとか、そんなことばかり
言っているので、もう家族に「今度は、腰が・・」とは
言いづらく、黙ってました。
それと10年近く、どうしようもない「辛い事実」の悩みがあり
それも、どうしても良い方向にいかない。
その事実は辛さと悲しみを私に与えてくれます。
そんな自分の身体の悩みと、実際の悲しみと、諸々なことが
雪だるま
みたいになり、ちょっと寡黙になっていました。
判断能力もにぶり、自信も無く・・そんな中、一つだけ確信できるのが
「神は、十字架で死なれたイエス・キリストを、蘇らせた」ということ。
さて、もう何年も前のことであるが・・
そのときも、この辛い事実に自分、打ちのめされていたのですが、、
そのときに聖書のこの部分が、困難にガッチガチになっていた
私の心のなかを
サ~~~
と溶かすように流れたことを覚えています。
それは、イエスが十字架に付けられたのち、三日目に蘇り、そして
弟子たちが集まっているところに、現れたときのこと。
イエスは「安かれ」と言い、その手とわき腹を示されました。
その「安かれ」という一言が
悲しみと責めと、無力に打ちひしがれる私の心に
沁みたのです。
・・・イエスさまは、蘇られて一番に「安かれ」と言ってくださったのだな・・
人間に一番に「平安のうちにあること」を望んでくださったのだな。。と。
自分を客観的に見ることは(たぶん)誰にも出来ないと思います。
我らを知り尽くして愛してくださった、生きているイエスさまに
寄り頼むのみです。
(久しぶりの更新なので、ブログネタにしないで、真面目にしました![]()
)