久々に会ってもあの頃に戻れる仲間はどの時代の人?  ブログネタ:久々に会ってもあの頃に戻れる仲間はどの時代の人?  参加中
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このブログネタと少し違うかもしれないけど・・・思うままに。




毎週、教会に行っています。


今行っている教会。


特に牧師さんとか決まっていない。。


主(神)の前に、皆同じ信仰を持つ者して心一つにして、集まっている・・。



しかしながら。教会堂?に住んでいる人を一般の人は「牧師さん」と


呼んでいるようだ。(もちろん牧師さんのいる教会はいっぱいある、というか


ほとんどだが。うちの教会の場合パー



それをいちいち「いえ、うちの教会は~」と否定はしないのであえてその一般の人の


言う言い方で言うと、


いまの(いわゆる)牧師さんの前の牧師さんが、私のオジさんだった。


叔母のだんなさんということだ。



その為、私は子供のころから、ちょくちょく両親に連れられたり、または電車に


ひとりで乗れるようになるころには叔母に会いにその教会へ足を運んだものだ。



いわゆる同じ信仰を持つクリスチャン同士を「兄弟姉妹」と呼ぶのは


どこの教会も同じようであるが・・



その兄弟姉妹の付き合いの長さには常々驚いている。


血を分けた兄弟姉妹でも、時に疎遠になったり、行き来も少なくなったり(同じか・・)


するものだが、


この信仰における兄弟姉妹というのは、気がついたらずーーーーっとこの地上を


共に歩んでいるように、その消息がわかるのである。



たとえば・・現在日曜日に顔を合わす年配の人なども・・


昔のレトロな集合写真を見ると、、


私のおじいちゃんと並んでその若い姿で、写っていたりする。


それでよーっく見ると、沢山知った顔が並んでおり、、


現在の集合写真には、皆お年を召した顔で並んでいるのである。。



私の子供時代を、皆知っている。


よく覚えている。


私はまるで知らない時代に、、皆はちゃんと「ミィちゃん」と知っていた。


もしかしたら・・そのころから、私のことを祈りに覚えてくれていたのかもしれない。。



長くなった。


書こうとしていたことからそれている・・。



とにかく不思議な「主にある」兄弟姉妹。


人が付き合っていこう!と決心したものでなく、


人の考えを超えた、付き合い(?)というべきか。



そんな皆と、静かに礼拝をまもっていると・・・


これまた不思議な感覚におそわれる。


心静かに讃美したりしていると、なんだか昔の自分に返ったかのような?


普段の暮らしにおける、色々な悩みや重荷がまるで知らなかったころの自分に


戻った(?)かのような気持ちになることがある・・


あれ?私は主婦で、毎日の生活がある身だったんだっけ、なんてふと我に


返ってみたりする。。



で、このブログネタに無理に戻すと、


あの頃に戻れるのは・・


主の御前で、ということにしておきます。パー