私事ですが・・
実家のひとり暮らしの母が腰を打ち、激痛に襲われたのは2週間ちょっと前・・。
数日付き添っていた(実家で)兄の家は高台マンションの最上階。
私の家は大家族。
骨に異常はないとのこと(そのため入院は出来ない)、誰かが看ていてあげなくては
なりません。。
しかしながら(兄も)何日も仕事を店長、店員にまかせていて、これ以上休めるわけにも
いかず、かかりつけの医者があちこち手を回し、ショートステイ先を見つけて
くれました。
そして二週間。
母は元気になってきました。本当にありがたいことです。
さて、ベットから車椅子に座ることも出来るようになり
入所したときの靴がスニーカーでしたので・・脱いだり履いたりが大変とのこと。
昨日は兄も私もショートステイ先へ行く予定でしたので
そのときに、何か、はきやすい靴を持ってきてほしい!と急遽言われました。
それが前日夜のこと。次の日の早朝には、母の所へ向かわなくてはなりません。![]()
靴を買いにいくヒマがありません!
そうだ!![]()
思い出したのは、、、
数ヶ月前、「・・なんだかオバサンくさい靴だな。。」と
履かないし、捨てようとしたけど捨てなかった靴。
なぜかわからないけど、「まてよ・・」とスンでのところで捨てなかった靴、があるのを
思い出し、それを持っていくことにしました。
・・・これなら、判広な母の足でも入るだろう。。。
と。
そして靴を布でさっと拭いているときに・・何気に聖書の言葉を思い出しました。
主よ、あなたは私を探り、わたしを知りつくされました。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、
遠くからわが思いをわきまえられます。
あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、
わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
わたしの舌に一言もないのに、
主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
あなたは後ろから、前からわたしを囲み、
わたしの上にみ手をおかれます。
(旧約聖書 詩篇139篇1~5節)
わたしが隠れた所で造られ、
地の深い所でつづり合わされたとき、
わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
あなたの目は
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。
(同じく詩篇139篇15~16節)
靴を捨てよう!としたのは、もう数ヶ月も前のこと・・そんな日に、すでに
母が腰を痛め、やっとの思いでショートステイ先に落ち着き
そして治っていき、靴が必要になることが
ことごとく備えられていたのかしらん・・
なんて。
偶然?必然?
そんなことをふと思いました。