こんな時期に障子貼りです(;^_^A
結構見るに耐えないほど、裾のほうが破けちゃったので![]()
障子紙はわざわざ買いに行かずに、、家にあったものを使いました。
画像のようにクルクル巻いてあるタイプです。
左端に紙を置き、ころころ転がして行くのですが・・キチンと端を揃えたつもりが
右まで来るまでに、結構ズレる。。。(;^_^A
それを見ていて・・こういうことってあるよな~と考えてみたりします。
たとえば・・
ダイエットをしよう!と決心し、
とりあえず、間食を絶とう!と決めます。
でもどうしても一口、甘いものが食べたくなり、クッキーなり一つ食べます。。
にもかかわらず、順調に体重が落ちたとして、、そうすると
「一つぐらいお菓子を食べても大丈夫♪」ということになり・・
そうこうするうちに、、
一口のおやつが楽しみになり、、だんだんケーキ一個とか、豪華版になっていく。。
気がつかぬうちに自分にとって、心地よい?ように当初の決心がズレていく。
さて、信仰の話をします。
皆さんは罪ってなんだと思いますか?
日本人って「罪」の話が苦手だと何かの本で読んだのですが。。
まず法に違反する罪があります。
それと、警察に捕まりはしませんが人間としてどうなの?という罪がありますね。
(不倫とか、いじめとか、色々あります・・)
それ+私が思う、自分自身の罪はこうです。(自分のことが一番例に上げやすいので)
旧約聖書の創世記に初めに創られた人間、アダムとエバの話があります。
アダムとエバは創造されたとき、神さまを主としてあがめ、この関係は
とても良かった。
しかし、ヘびにそそのかされ神さまが禁じた実をエバが食べ、エバはアダムに与えたので
アダムも食べてしまった。これにより、「背き」の罪が人類に入ってしまった。
と、簡単に書きましたが・・この「背き」の性質を自分の中に見出します。
どんなときかというと
この自分ではどうすることも出来ない性質(罪)から救ってくださった、イエス・キリストのことを
伝えるのはとても感謝なことであり、自分自身、重要なことなのですが・・
時に、「上手に伝えられたね」と褒められたい自分があるのに気がつきます。
神さまがどういう方か知らせたいのに、自分自身の評価のほうに重点が
置かれている有り方にそこに利己的、神よりも自分、という
背いている姿を見出します。
この罪の私は、死ななければなりません。
そこに、
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
新約聖書ルカによる福音書23章34節
と言って神に祈り、血を流し死んでくださったイエス・キリストを思うのです。
(罪を知らぬ神の子が死ぬのは正に私の身代わりと信じるのです。)
・・・さて、
障子貼りのズレからここまで来ました。
いったい何のズレを書きたかったのか・・?
信仰でも初めの感謝な思いからズレ、何か自分がこんなだから救われた!というような
自分を誇るものが入ってはならない、ちょっとしたズレが大きな違いになっていくと
いうことがあるだろう。。
そのようなことを書こうとしたのです。
長くなりました。
夕べの「女子会」で少しまた太ったような感じの今日です。(;^_^A
