先日、知人が来られ話される。。


彼女は、長く学校教師をしていて、現在は障害のあるこどもを教えているのだが、


地域で行われる某マラソン大会があり、そのマラソンに現在の教え子さんが出場する


ので、その生徒さんを応援に毎年、沿道に立つのだとか。



おとといの大会でも、知っている顔を見つけて、声を張り上げていたら、、


もう十年も前の教え子さんが


「○○せんせい~~」と、自分の方に向かって一目散に駆け寄ってくれる


子が何人かいる。「お!○○頑張れ~~」クラッカー


彼女が言うには、、自分は特別、優しい先生でもなければ、その子に特に、声を頻繁に


かけたわけではない。接した期間も長くはないのに、


こんな風にいつまでも覚えていてくれ


駆け寄ってくれるのは、なんとも形容しがたい思いがする、と人前で決して泣かない人


なのに涙ぐんでいる。。



(障害がある)彼ら、彼女らのことの今後のことなど心配であり、頻繁に連絡など


取りたい思いがすごくあるのだが・・なかなかそれも憚れる。


出来ることは、ただただ心で応援していくことだけなのか?


と、もっと彼ら、彼女らと関わって生きたい思いをどうしたらいいのか


心が張り裂けそう!といった表情をされる。。



昨夜、図書館で借りてあったDVDを見た。


高齢の夫婦の話で、妻がアルツハイマーに罹ったようで、、本人が自覚していて


自ら、ホームに入ると決断され、そのようになる。


そして同じホームにいる身体の不自由な男性を愛しはじめ、


カードゲームの際、車椅子に座ったり立ったりということ、甲斐甲斐しく世話をし、


だんだん、訪ねていくだんなさんの顔もわからなくなり、


「スミマセンが、○○さんを散歩に連れていきたいので、今日はお帰りください、


また明日おいでくださいね。。」と職員かだれかだと思っている様子に


なっていく。



だんなさんの静かな表情はなんともいえなく、現実を受け入れ難い思い、


しかし、受け入れなくてはならない現実、という感じで、寂しさが漂っている。



話自体は、妻がホームに入り、少しずつ症状が進んでいく、といった内容なのだが


そこかしこに、隠れた思いが感じられる。




初めの知人の生徒さんを思う思いではないが、、


どうにもならない思い、


映画等で若いキャピキャピした女優さんなんかが


「わたしを裏切ったでしょ!?いったいどういうつもり?」などと直に


相手にぶつける、でなく誰に何に聞いたらよいかわからないような現実への


疑問。


そんな「間」から読むような映画が最近、好ましく思えるのである。身近にも


そんな出来事も確実に増えている。。


あー、もうそのような歳に成りかかっているのか・・