「マイページ」にアメーバニュースというものがありますね。。


そのニュースを見て、チラと思ったのですが、、


ニュースの内容は、神社などの参道を歩く際も作法があるとかなんとかっていうもので。






さて、ちょっと思ったこと。「知人の話」と「自分の想像」でのたとえばなしで・・


(我が家は義両親同居の大家族ですが、我が家の話ではありませんので、


 そこのところヨロシクグッド!



あるところに介護の必要な年寄りのいる家庭があるとして。そこの嫁さんは(娘でもいいが)


どうしたって、忙しく大変だ。また身体が忙しいだけでなく、お年寄りの精神面も配慮しなくては


ならない。いちいち言葉にすることも出来ないほど、諸問題が持ち上がるというものだ。



さて、そのお年寄りの子供が他にもいて、、(配偶者もいるかも)



皆、それぞれにそのお年寄りのことは心にかけていて、我関せずというわけでない。



ある兄弟(姉妹でも)は、何かをしなくては!と思うあまり、そのお年よりの入用な


ものを、思いつくままに早め早めに持参してくれる。


何事にもその実際同居の家族よりも先手を打って、気をくばってくる。



また、他の兄弟(姉妹は)、気になりながらも、自分たちの生活の諸々のことで


初めの兄弟のような風には出来ない。


しかし、心ですまない、という気持ちがあり、何かのとき会ったときにでも


「いつもありがとう。」と感謝の思いを述べてくれる。



さて、お嫁さんが嬉しく思うのはどちらだろうか?



これは人それぞれであろうが、もし自分がその同居の家族だとしたら・・


家族が腰を上げるより早く、気をきかせてくれるというのは、時に「何か、私らに


手落ちを感じるのではないか・・」とふと、せっかくの好意を素直に受けられず、


勘ぐるような気持ちになることもあるのではないか?



ならばいっそう、「いつも忙しく世話をしてくれありがとう」との一言のほうが


嬉しく思うのではないか?


などと自分は思うのだが。



勝手にたとえ話を作り、勝手に自分なら・・と想像してみたのだが、


こんな風に人間の世界のことでも


そのように思うのなら、


神さまの側からの考えはどうであろうか



参道の真ん中を歩いて気をわるくするかもしれない・・と考えたら、もしそこに


神なるものがあったとしてその神は、ずいぶん小さく見くびられたものだ!と


思いはしないか。



賽銭が少ないから、願いを聞いてもらえないかも・・と考えたら


もしそこに神があったとしたら、ずいぶんとケチな存在とされたものだ、と


思いはしないか。



私の信じる神は、天地創造をした神である。


その神は、「行いによるのでなく、信じるものが救われる」と言われる。


信じることを喜ばれるのである。



もし、何かこれをしなければ、こうあらねば!とあたふたと自分の考えで


行ったりするなら、まるで全知全能の神に何か足らないところがあるから、と


することにはならないか。


まずはその神はどんな神かを知り、信頼してしていくのが一番ではないか?


(一番って?)




アメーバニュースを見てそんなことを考えてみましたのでパー


ではお休み~~ぐぅぐぅ