昨日、電車にて○○駅に着いたので
「おかあさ~ん、今着いたよ!これから行くね」というと・・
「お母さん、これから○ゾーへちょっと買い物行って来るけど
あんた、○ちゃん(叔母)いるし、上がってて待っててや」という。
そうか、○ゾーだったら駅からまっすぐでさほど(家まで)遠回りでも
ないから、寄って見よう![]()
と10分少々あるいてスーパーマーケット近くまで行く。
するとトポ~ン、トポ~ンと歩く、あの姿・・あ!母だ!!(画像)の姿が
目に入る。
「やっぱり○○みやぁ~なんや、遠くからよう似た人が歩いてくるな思うて
見てたんや!」と言わはる、あ!いけないもううつった~!!「言う」。
店内、買い物をしている後ろ姿や店員さんとの会話を聞きながら
まどろっこしさを感じながらも、「・・・さっさと出来なくなっているな。。」
などと感じる。
帰り道、しきりと
「あんたが来てくれてよかったわ~。ほんま助かる!帰りみちどうやって
(買い物したもの)もって帰ろう、思うていたんや~」と言うのだけれど・・
なんだか今までこんなに手助けに対して
有り難たがったかしらん?と心の隅で思っていた。。
何はともあれ、持ちずらい買い物を下げ
(母は重い、と心配したが、重いのでなく持ちずらいのを心配したようだ、大きさ的に)
叔母の待つ実家へと向かう。
そして、、午前中の「打ち合わせ」の仕事を終え、車で後からきた夫と、母と叔母と
私で施設にいる父の所へと行きました。
私の文章は「である」調からいきなり「ました」に変わる、おバカな文章で
あるが、慣れてほしい。。。(;^_^A
細かいことは省きますが、私の主人に久しぶりに会い、父はとても喜んでくれ
楽しいひと時を過ごせて、有り難く思いましたが、
父は感激するとよく言うせりふに
「まだまだ、元気でいなくちゃダメだな~こんなに嬉しいことがあるのだから、
まだ、ボクもこれからだよ、おかあさん!」
と母にそのように語りかけるということが毎度なのです。
すると母は「え~もうエエよ」とまだそんなこと言うてる!というように
私にチラと言うのです。
この聞き捨てならないセリフには突っ込みどころ、非難しどころ満載なのですが、、
いつもなら、「また、そんなこと言う!
」と
小さい声で言い返すのですが、
昨日は母の違った思いを感じたような気がしました。
母は、そろそろ心臓に入った助細動機を新しく入れ替えなければなりません。。
「もう!まな板の上の鯉みたいな気分やー」と私のだんなはんに言いながらも
その手術の長い時間内がとても辛いものだということを笑い話を交えて
訴えている。。
なので「お母さん、全身麻酔にしてもらえば?」というと心臓の手術なもので
部分麻酔しか出来ないのだとか。
そしてその手術の最中に
「最近、目がよく見えないんだけど、ここの数字読んで~」などと言い合う
医者と助手の会話を聞いていると
ゾゾ~としてくるわぁγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞなどと笑っているが
相当、そのことが心にあるのだなと思われるのである。
最近、叔母(母の妹)が体調を崩し、同居しているのだが、、
そういう事情を負っていることと、
自分の身体もそんな状態。
その上、父のこともいつも心にあるようで、
なんだか沢山のものを背負った後期高齢者といった具合です。
だからこそ、
これからも元気で長生きするぞ~と言う父に「もうエエよ」と言うのは
これは年老いた者としての様々な思いが入っているのだな、と
感じられます。
年寄りの思いはどんなだか、
よくお年寄りは、いつ最後が来るかわからないので
身の回りの片付けをする人もいるといいます。
母は弱い自分の身体の自信もないし
後の人のことを思い、身の回りを少しでもすっきりしたい、との
思いから「もうエエよ」と思わず言うのかもしれない。。
幸い、父も一事は「信仰はどうしたのか?」と思えるような言動が
あったが、最近は二言目には
「神さま、私は本当に感謝です」と言っているし。
母の気持ちは口先だけでなく、
本当に父を天国に送り、安心して自分もいつそのときがきても
いいように気持ちを整理したいのかもしれない、
などと思いました。
(本当のところはわかりませんが)
さて、この長い、うちわの文章を誰が読んでくれているのだろうか・・?
さては内輪の若干一名に人宛に
ブログをつかっているの・・?
そんな感じですが、はい
若干一名の人が読んでくれるかも、と思って
いるのは確かです。
(若干一名の人よ)コメントはいらないです。
そして、特別、現在困ったことがあるわけでもありませんので、
ご心配なく![]()
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