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エコロジーとブリコラージュとときどきTatsuki

こちらのブログでは日本で育った僕がいまいるフランスでの生活をエコロジー、自然、オーガニックの側面から書いています!

ブリコラージュ(野生の思考)

 

こんばんは。

 

すっぱ抜かれたので、少しちゃんと構成を考えて、

きちんと下調べをして書こうかと思ったのだが

取り急ぎpop up(頭にうかんだことを)書こうと思った。

 

 

人間という生き物は簡単に言えば、料理を作る際にレシピを見てから

材料を整えて作る事を、「栽培された思考」といい

システム設計したものをプログラミングして行くような思考の事をさす。

 

 

始めに、レシピありです。材料は、決められてて、

およそ、人参30g、小麦粉100g、しいたけ2個のような切り口上で

出来あがるモノが予想できた状態でモノを作る事をいう。

 

 

反対に、野生の思考を用いる方法で分かりやすく方向性をつけて考えると

 

料理では冷蔵庫にあったもので、「ありあわせ」を作る才能の事をさす。

 

ちなみにこの部分はTEDx Youth Namba でのスピーチで実際に話した。

『こんにゃくステーキ』のお母さんなんて言われたことも。。 笑

 

 

Bricolage | Tatsuki Nakata | TEDxYouth@Namba

 

 

冷蔵庫の中に、今日は何がある。

だから、全く当初予想し得なかった料理が、食卓を飾るって事はよくあるだろう。

実際に僕も学校からお腹をすかせて帰ってきたときにこのシチュエーションにはよくでくわした。

 

今日はこんなモノを予定していたけれど、何だか、出かけるのが億劫になってしまって

あり合わせのモノでいいわってなったら、えらい何だか、

普段作らないような美味しいご飯を作ってしまったと。

これを、料理においての「野生の思考」と僕は仮定した。

 

実際に僕の母は『僕がステーキを作って』と無茶なお願いをした際に

『はいはい。。』といいながら

 

「こんにゃくステーキ」や「豆腐ステーキ」をテーブルに並べた。

でもこの勝負ぼくの母の勝ち!

 

ステーキを食べたいというルールで、肉とは言ってなかったので。。

ここは母の圧勝かな。

 

 

まあとにかく始めに、方向性を決めるレシピと方向性を決める、

材料がグラム単位で揃っている「戦略的なシステム設計」とは違う。

設計図つまりメニューなんてものは各家庭に存在しない。(もしかしたらあるところも。。)

 

 

また、人間の進化というのは結構なメジャーアップデート(大きな更新)をしながら

それでも、「一歩進んで二歩下がる」事もあって、進んで来ている。

 

 

人間というのは、過酷な環境の中で、便利な遺伝子を優先させて生き延びる動物。

 

それも、遺伝子の試行錯誤の元にある訳で、始めから

神様や仏様に「こういう進化を遂げて、こういう成長が正しいのです」と指定してあったら

人間、こうも迷わなかったというのが僕の解釈だ。

 

つまり僕たちの人間の世界に設計図なんてものは存在しないし

それが料理であれなんであれクリエイティビティーをもって

日々挑戦し、失敗し、試行錯誤を重ねて進化をする生き物。

 

そして人間が迷いながら進んで行くのは、環境によって自分達を変えて行く自分たちの作りに

何故なのだろうと疑問が湧くからではないのだろうか。

 

 

そしてこのあり合わせの材料で何か作ってしまう行為を僕は

『ブリコラージュ的アプローチ』と呼ぶ。

 

とくにこの能力には訓練が必要であるし

この訓練は子供の教育にすごく不可欠なものではないかと思う。

 

 

というのも大人になるとお金というものを手に入れるための交換材料を要することになるので

手に入れたいときに手に入れたいものを手に入れたいだけ手に入れることができる。

 

しかしなが子供は欲しいタイミングや手に入れたいタイミングで全てが手に入るわけではない。

だからこそ手持ちのものや、あるものでブリコラージュ的アプローチをして

できることする、また面白いものをつくる。

 

そうすることで多くの機会を通じて場数を踏んで

発想力や独創性を養い磨くことができることのはないかと。

 

 

例えば子供と料理をつくるときに

麻婆豆腐をパスタにかけてみたり、ソースであえたり、鶏ガラの出汁であえたり。。。

 

 

特に何か買わなくちゃと思う必要もない。特売で出た商品で、様々なモノが作れる。

そういう発想が、「野生の発想」に代表される、ブリコラージュというものなのだ。

 

そして『これ意外と美味しい!!』そんな新たな発見ができるときはいつかくる。

 

今の現在主流の科学的思考(エンジニアリング的アプローチ)だけではなく

対照的な思考である両者を、両方ともほど良く学んでこそ、意味がある。

 

もちろんブリコラージュ的アプローチの生き方をみんなが毎日すれば

世界はなりたたない。。 笑

 

 

 

けれど、極めて、戦略的になれず、偶発的な存在であり続けるブリコラージュが

人間を進化させ、様々なアップデートに対応させてきたと思う。

 

だからこそ、この思考は今の情報過多の混沌とした社会には

もってこいの思考法なのではないか。

 

教育において特に小学校以下の教育機関に導入してみたら

意外と面白いかもしれない。

 

PS キャリア教育の一部としてとりいれてみたらどうかなと密かに考えていますがな。

 

では今日はここまで

 

 

Bonne soirée!!

ボン ソワレ!

 

 

 

 

 

 

 

Bonjour !

ボンジュール

 

今日は少し学術的な話とはちがい

自分の生活で発見したことについて書きたいと思う。

 

僕は現在フランス北部のリール(フランス第4の都市)に住んでいるのだが

パリとはまた違って人柄や文化も少し違う。

 

日本人の多くはメディアの影響もあってかフランス=パリ フランス人=クロワッサン、ワイン

このようなステレオタイプをもっている人が多いのではないだろうか。

実際には日本のメディアに取り上げられているフランスのほとんどがパリであり

日本人がそのようにフランス人のイメージを形成するのはまあ当たり前の流れであるとは思う。

 

パリはどちらかというと本当にグローバルと伝統が混在した都市で東京にすごく近い。

東京人を日本人の多くが嫌うように、パリのことを嫌う地方(プロヴァンス)の人は多い。

まあ地方VS首都の嫌悪はインターナショナルで実在すると思っている。

 

 

それはさておき今日は少し面白い発見をしたのでそれを記事に書かせていただきたい。

 

『フランス人はスープを残さずに飲む。』

 

当たり前じゃないかという返答が返ってきそうだが

フランス人の飲み干すというのはお皿やボールにスープの液が

一滴も残っていない状態をいう。

 

日本ならスープはのむがお皿やボールをなめまわすことはしないし

そこに少し溜まっていてもそれはそれほど気にしないであろう。

 

 

でもフランス人は決まってこのスープを一滴もお皿についていることを許さない。

許さないというよりも自然にきれいにしてしまうのだろう。

 

 

ただお皿をなめたり、指につけたりという

下品なテーブルマナーに反することはナンセンスなので

パンを使う。パンをちぎってスープをきれいにそれでふきとる。

もうそれ自体が食事の一部のようなものだ。

 

 

それに僕はフランス人の国民性がすごく現れていると思ったのだ。

 

なんどもいうが人によって違うが

フランス人の国民性を一般的にカテゴライズすると

 

『自分のもっている特権は最大限に利用する』

 

これがフランス人の特徴。

休みや有給はとれるだけとるし、

ボーナスも、給料交渉も、値切りも、バーゲンもクーポンも

 

使える権利はすべて使い果たす。すりへるまで使い切るイメージ。

 

 

この違いとテーブル上で発見した違いが

なぜか切り離せなくて、そして興味深くて

今日はこのような記事を書いてみた。

 

 

たまには学術的ではない部門もいいかもしれない。

そして日常での発見がいがいとフィールドワークとして

ブリコラージュの研究になっているのではないかとも感じた。

 

ではまた次回

 

A bientôt !!  ア ビアント

 

 

 

Bonjour !

リールからボンジュール!

ブリコラーたつきです。

 

今日のタイトルは『野生を取り戻す』

 

というのも最近 Wall-eという映画を久しぶりに見たとき

自分のなかの変化に違和感を感じた。

 

 

ちなみにこの映画を初めてみたのは私が中学生の時である。

今でもそのときのに受けたインパクトを覚えているのだが

私たちがに起こりうる未来の世界のことを描写していながらも

実際そのストーリーは当時の私の現実世界との間にあまりにも

ギャップがありすぎてショックを受けた。

 

しかし最近この映画を再度見たときに

「あれ、なぜか違和感が薄れている」そう感じたのだ。

そしてその自分の違和感の変化に違和感を感じた。

 

 

特に衝撃を受けたシーンをYoutubeで見つけたので

下記に貼らせていただく。

 

https://www.youtube.com/watch?v=s-kdRdzxdZQ&t=95s



どうだろうか。

違和感を感じるが、なぜか私たちの世界に少し類似している部分はないだろうか。

中学生当時に見たときは2008年で現在は2019年。

 

この約10年のあいだに私たちをとりまく生活環境はテクノロジーの発展と共に

信じられないスピードで加速している。

 

Drone、 smart speaker、ルンバ、超ハイスペックの翻訳機、ペッパーなど

ドラえもんやwall-eの世界が本当に現実とかしている。

空飛ぶほうきも、車も時間の問題だ。

 

 

ここからが本題なのだが

私はそのテクノロジーの発展にポジティブとネガティブの側面両方をもつ。

ポジティブな面の方がかなり多いのだが、ブリコラージュの研究者として

発言しなければいけないとしたらネガティブの面も見えてくる。

 

それは『野生』である。

フランス語でSovage という野生を意味する言葉が存在する。

本当はこの言葉こそ私の提唱する思考にもっとも近く

wildや野生と言う言葉は微妙に私の言いたいこととの間にずれがある。

 

 

Sauvage は人間の中で家畜化されていない領域をエレガントに表現している。

自然などの人間の外とのつながりのなかで優しく触れ合いながらそこから表現や文化を取り出す。

フランス人の文化人類学者レヴィ=ストロースが定義づけした言葉である。



ここでいう野生とは(社会や機械から)飼いならされないことである。

 

人間と動物の違いは野生的本能で行動するか、

知的に行動するかで大きく区別をされる。

 

そしてそれを代表するのが言葉。

人間を含む全ての動物が音をもっているが

それを1番巧みに使い分けたのが人間である。(言語を選別化、文字化、文法化してコミュニケーションをはかるように)

 

つまりあらゆる音のなかから選び、絞り、言葉の発生で言語をつくった



つまり『削ぎ落とし』をしたのである。

本来持っている部分を多く削ぎ落とし、選択、抜粋し今の人間は存在する。

そして今持つ人間という文化を築きあげた。

 

もちろんそれはごく進化の一部分である。

 

しかし昨今の世界の中で人間は削ぎ落としをしすぎているのではないかと考える。

 

そしてつねに選択、抜粋をし『削ぎ落とし』を繰り返していくことで

自然と人間とのつながりがどんどんなくなってしまう。

 

動物的な領域で動物とつながっているが

人間はこの『野生の削ぎ落とし』によって自分で自分を飼い慣らしすぎた。

 

つまり社会や環境に適用できるようにつねに

削ぎ落としを続けており、その極みに当たるのが今回紹介した

wall-e な社会である。

これは少し極端なれいかもしれないが

自分が感じた違和感への違和感は『削ぎ落とし』への恐怖でもある


 

人間が自然や大地とのつながりがよわくなっているなか

その加速を少しでも減少させバランスよくテクノロジー

また自然や大地との関係性を維持するために

sovage という言葉はぜひ覚えていただきたい。

 

そしてそれは動物である人間全てがもっている本能なのである。