さて、前回は「グラウンディング」と「今、ここ」の正体をあばき、現在の地球
は霊界も含めて過渡期にあるため、もうひとつ、皆さんに持っていただきたい“視点”がある、ということをお話ししました。
「グラウンディング」と「今、ここ」だけだと、どうしても視点が地球に固定してしまい、地球から離れられなくなる可能性があるから、というのがその理由です
「地球は“分断”を経験する場所」の記事でお話ししたように、私たちの魂の“核”となっている“神性”は、実はみんな同じものであり、その核の上に、魂・霊体・幽体・肉体と、いわばいろいろな服を着込んでいるから、それぞれが違うように見えるだけなわけです。
つまり、この記事を書いている私と、この記事を読んでくださっているあなたは、実は同一人物なんです。
地球の人口は現在約77億人らしいのですが、それは「みーんな私」ということです
(“私”の中には本当は一部、動物も含まれますが、とりあえず人間だけの話にしておきます)。
私たちはみんな、元はひとつ。
ひとつだけれど、それぞれ違う服を着て、霊界にいる霊(魂)の状態のときに、それぞれがそれぞれの役柄を決めてから、地球人の肉体に入り、地球上で生活しています。
映画やドラマにたとえれば、監督:私、脚本:私、主演:私、助演:私、友情出演:私、エキストラ:私
──ってことになります
冷静に考えると、なんとアホらしいことをやってるんだろう……と思いませんか
自作自演ですよ
つまり、この世は世界規模の壮大な“茶番劇”なのです
地球人の肉体はものすごく波動が低く作られているため、霊(魂)がこの肉体に入ると、神性・霊性はまったく発揮できず、霊だった頃の記憶も思い出せません。
だからこそ、この茶番劇は成立しているわけです。
地球人の肉体に入った状態で「この世は茶番劇だ」とわかっていたら、わざわざそれに参加しようとはあまり思いませんよね。 たとえ参加しても、どうも真剣味に欠けてしまうのではないかと思います。
たとえば、あなたとは気が合わない人がいたとします。
でも、「これは茶番劇だ」とわかっていたら、「ああ、私と対立する役柄の人ね
」と思って、「それなら仕方ない」と、気が合わないことを気にしなくなるかもしれませんし、誰と何が起こっても、「どうせみんな私だし。はい、茶番、茶番」で、この世の生活がとても味気ないものになる可能性大です。
それでは地球人として生まれてきた意味がない
“核”である“神性”の上に、魂・霊体・幽体などを着込み、波動の低い地球人の肉体に入り、霊(魂)だった頃の記憶を封印してまで、あなたが現在、ここにいるのは、わざわざ茶番劇をやりに来たからなのです。
これが、皆さんに持っていただきたいもうひとつの“視点”です。
「地球で暮らす自分を、俯瞰する視点」とでも言いましょうか。
ですから、「どうせこの世は茶番劇」ということを、心のすみっこでいいので、いつも置いておいてください。
前回の「グラウンディング」&「今、ここ」と、今回の「この世は壮大な茶番劇」、この2つの視点を持つこと、両方に片足ずつを入れてしっかりと立つことが、現在の地球を生きていくためにはとても重要なことだと私は思っています