秋のお彼岸が近いので、お墓参りの話を少々──
もう10年以上前のことになりますが、「千の風になって」という歌が流行りましたね。
『私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません──』
確かに、私が見ても、お墓にずーっといる霊は、ほぼいません。
でも日本人は、お盆やお彼岸、お正月を迎える前、故人の命日などに、お墓参りに行くという習慣があります。
そこにはいないのに、なぜお墓に行くのでしょう
そして、亡くなった霊たちに聞いてみると、ほとんどが「お墓参りに来てくれるのは、とても嬉しい」と言うのです。
そこにいないのに、なぜ嬉しいのでしょう
霊たちの話を総合してみると、わざわざお墓まで来てくれて、お墓を掃除したり、お花やお線香、時には生前の好物
を供えてくれたり、手を合わせて話しかけてくれたりする、その気持ちが嬉しいようです
でも、たとえばあなたの親しい人が亡くなったとしたら、別にお墓に行かなくても、時にはその人のことを思い出したり、心の中で話しかけたりしませんか
霊になった人たちには、あなたが心の中で思ったこともすぐに伝わります。
それならば、普段の生活の中で思い出したり話しかけたりするのと、お墓参りに行って手を合わせて話しかけるのと、どう違うのでしょう
霊たちに聞いてみると、お墓に来てもらうということには“スペシャル感”があるようなのです
時間をかけて「わざわざ来てくれる」ということ。
そして、先ほど書いたように、お墓の掃除やお供えもしてくれる
それらのすべてが合わさって、日常とは違った“スペシャル感”になるようです。
たとえていうなら、
普段の生活の中での語りかけは、家のダイニングでお茶でも飲みながら故人と話している感じ。
お墓参りでの語りかけは、レストランを予約して故人を招き、美味しい料理を食べながら話しているという感じ。
でしょうか。
生きている人間側も、故人がお墓参りをそんなふうに喜んでくれているのを無意識で感じるから、やっぱりお墓参りに行くのかもしれませんね。
私たちはみんなつながっています だから霊感のあるなしに関係なく、自覚・無自覚も関係なく、いろいろな人、いろいろな霊の気持ちを、必ずキャッチしているのです。
ちなみに、お墓参りに行ったときに、故人の霊もそのお墓に来ているのかというと、ほとんどの場合、来てはいないようです。
でも、亡くなってそれほど月日が経っていない霊の場合は、肉体を持っていた頃の感覚をまだまだ引きずっていますから、誰かがお墓参りに来てくれると、自分もお墓に出向くことがあるようです。
ともかく、故人の霊が来ていなくても、お墓参りをすれば、何しろ“スペシャル”ですから、確実にその人と気持ちが、普段以上につながります
お墓には、その故人専用の無料Wi-Fiが飛んでいるのかもしれません