それは「無」だろうと想う。
Ecoaにとって。
Ecoaがなくなれば、存在意義がなくなれば、
それが最終目標。
「環境」とか「エコ」とかいう言葉がなくなればいい。
私が掲げた“エコを日常に落とし込むため、地球にやさしく、その前に人にやさしく”
にはそういう意味が込められてる。
意識しないと出来ない「エコ」がだめだ。
普通にモラルの問題だろう?
ゴミをきちんと捨てるとか。
「当たり前」のレベルがいまマイナスにあると想う。
ただ願うのは、シンプルなこと。
相手のことを想う心と
目の前のものに対する想像力を。
「ありがとう」
「ごめんなさい」
想像力がたりないよ。
簡単にモノを言うんじゃない。
どれだけの人がどれだけの労力費やして
一つ一つが成り立っていると想うんだ。
私は大概の事は笑って許すか無関心だけど
筋が通ってないと怒ります。
きちんとするときはきちんとするけじめを持たないと
つまらないですよ。
楽しい時だけで成り立つと想わないこと。
たとえば名刺をもらったときに
その名刺の裏を見るような心の余裕がほしい。
全ては想像力。
相手を完全に理解なんてできない。
全てに納得なんてできない。
そこには想像力が必要。
全てがつながっている。
2008.7.27