最近課題などの隙間を縫って


ちょっと油絵の勉強をしている


中学生のころから描いてはいるが、正直ちゃんと習ったわけではなく、


フィーリングに頼った我流だったのでどうしても表現の幅が狭くて限界を感じていたのですよ


そういうわけで最近はいろんな技法をちょっとずつ試していて、


まぁいわば実験的にいろいろやっとるわけです。


これがけっこう楽しくてね、ずんずん表現の仕方を吸収していますので


こうご期待といったところです



最近忙しかったり体調悪かったりであんまり部活に行けてなかったけど、


今日は最初から行けた!


久しぶりにちゃんと動いたので楽しかったなぁ~


でも筋力弱ってるし、技もできないし、


これから頑張ろう~!



ぼくはけっこう普段の会話の中で何の気なしに


いやぁ、おれはたぶん早死にするから


みたいなことをよく言うらしい。


そうするとけっこう、


そんな悲観的なことを言って…


と言われるのだが、ぼくとしてはこの言葉にまったく悲観的な意味はない。



最初に言っておくとぼくは別に特定の宗教を信仰しているわけではない。


とはいえ仏教的な思想にかなり共感するところがあるので、その影響は多分に受けているとは思う。


祖母がいわゆる普通の仏教徒だったこともあって仏教的な思想には馴染みが深いというのもあるが、


かといって全面的に仏教を信じているわけではなく、信仰というのにはいささか語弊がある。


そのうえで、



ぼくは人が死ぬことに対して悲しいとか悲観的なイメージがまったくといっていいほどない。


もちろん実際に家族が亡くなったときや、長年一緒に暮らしていた猫が死んでしまったとき、


悲しい気持ちになったし思いだして寂しくもなる。


だけど、その度合いが他の人より低いらしい。


だって、死そのものは別に悪いものではないし悲しいものではないんじゃない。


とはいえ自分は最愛の人を突然事故で失うとか、そういった衝撃的な経験をしたわけではないからこうして構えていられるだけなのかもしれない。


でも考えてみると、


そもそも長生きすることがいいことで、早死にするのがわるいこと


という風には思わないし、


やはり死ぬことも決して嫌なことではないはずなんだ。



だから冒頭の言葉は、客観的に見て自分は体も弱いし体に悪いことばっかりしているから


たぶん早く死ぬだろうな、と思ったのをそのまま言っているだけで


その言葉には嘆きも悲しみもかといって喜びも何も含まれてはいないんだ。



しかしこういった考えを口にすると多くの場合


人が死ぬのは悲しいことだろう?


なんて人間味の無い…と思われることが多い(らしい)。


でもぼくは何と言われようとそう思っているんだから仕方ない。


理解される必要もないし、それこそ個人の捉え方の問題だから、ぼくの考え方が正しいわけでもない。


だけども、こんな捉え方をすると死についての禁忌感というかタブー感が薄れて


いくらか楽しい人生が送れるんじゃないかと思う。


そうしてぼくは、


ぼくの葬式が知人たちの楽しい同窓会になるような、


そんな人生を送りたいと思う。


「惜しい奴をなくしたなぁ…でもアイツはバカだけど面白い奴だったな」


なんて言われるようなね。