「SDGs」について(12) | エコロジカルでクラシックな日々

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こんにちは。
エコあんしん行政書士・安藤紳次(あんどうしんじ)です。

今回も、「SDGsの正体」(村井哲之著:株式会社PHP研究所 2020年発行)を参考にしております。


SDGs」について、前回(11)で書きましたのは、「国連」、すなわち第2次世界大戦の勝者である連合国によって作られた国際組織が作ったものであり、企業の経済合理性のある経営行動と、その結果の独占的な利益確保に大義名分を与える仕組みが「SDGs」であること。

 

また、「SDGs」は資本主義の経済原理で、企業の合理的な利益追求の競争を期待し、そこからの資源の適正配置と、富の公正な配分が実現していくことを求めていますが、これは可能であればとっくに達成していたはずであること。

 

達成に意義があるのではなく、むしろ達成を目指すことに意義を持たせ、いつまでも未達と反省、さらなる目標の設定、さらに未達・反省と、「未熟な人類、しかし挑戦し続ける人類」というスローガンに正当性を持たせることで、不自然なイタチごっこを繰り返すこと自体が目的になってしまっていること。

 

これらがどういうことかというと、「SDGs」がもはや人類にとって最良のプログラムではないことを表しております。

 

では、何のために、わざわざこんなことをやる必要があるのでしょうか?

 

それは、国連が「SDGs」を前提にして、国家でなく企業に、効率よく社会的問題を解決させようと考えているからなのです。

 

持続可能な世界を作ってこなかった責任を、国家だけでなく企業にも負わせようということなのです。

 

でも、「SDGs」に企業が関与することで何かいいことがあるのでしょうか?

 

それは、ただ1つ。大きなビジネスチャンスが「SDGs」にはあるからなのです。

 

SDGs」は企業の経済合理性のある経営行動と、その結果の独占的な利益確保に大義名分を与えます。現代世界の勝ち組である「連合国=国連」のお墨付きなのです。

 

ここまで言い切ってしまえば夢も希望もありませんが、「SDGs」には不自然なほど「すべての」「あらゆる」などの100%実現不可能な短期間での目標達成期日などがあります。

 

世界の悲劇的な様子を並べるだけ並べて、人々の共感や憂いを創り出し、その問題を解決することを強調し、そこに関心と支持を取り付けることだけが目的なのです。

 

そうすることで、独占的な利益確保を目的とする経済活動がなしえるということになります。

 

これが「国連」のスタンスなのです。

 

かなりショッキングな内容になりました。


では、今回はここまで。