今となっては幻のフォークグループ「赤い鳥」です。1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散。
1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。 『竹田の子守唄』、『COME AND GO WITH ME』を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得(この時、オフコース(当時は「ジ・オフ・コース」として)、チューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」として)も出場していた)。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったという。
解散後、後藤・平山の夫妻が「紙ふうせん」、山本夫妻と大川が「ハイ・ファイ・セット」を結成した。ちなみに「竹田の子守唄」は、最近山本潤子さんがよく歌っています。(My Blog 音楽雑感「竹田の子守唄」4月13日 )
ハーモニーがきれいで、女性ボーカルが二人という編成も変わっていた。「五つの赤い風船」などと同じように反戦とか平和を追求していたが、歌詞で直接訴えていなかったのが特徴です。当時私は高校生でした。
赤い鳥 / 翼をください
http://jp.youtube.com/watch?v=7in5rpYU584
赤い鳥 / 紙風船
http://jp.youtube.com/watch?v=kHd32fK3GzM
赤い鳥/赤い花白い花
http://jp.youtube.com/watch?v=eBZGIUjBuDA&feature=related
1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。 『竹田の子守唄』、『COME AND GO WITH ME』を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得(この時、オフコース(当時は「ジ・オフ・コース」として)、チューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」として)も出場していた)。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったという。
解散後、後藤・平山の夫妻が「紙ふうせん」、山本夫妻と大川が「ハイ・ファイ・セット」を結成した。ちなみに「竹田の子守唄」は、最近山本潤子さんがよく歌っています。(My Blog 音楽雑感「竹田の子守唄」4月13日 )
ハーモニーがきれいで、女性ボーカルが二人という編成も変わっていた。「五つの赤い風船」などと同じように反戦とか平和を追求していたが、歌詞で直接訴えていなかったのが特徴です。当時私は高校生でした。
赤い鳥 / 翼をください
http://jp.youtube.com/watch?v=7in5rpYU584
赤い鳥 / 紙風船
http://jp.youtube.com/watch?v=kHd32fK3GzM
赤い鳥/赤い花白い花
http://jp.youtube.com/watch?v=eBZGIUjBuDA&feature=related