イメージ 1

 私が地方公務員になったころ(1970年代)、労働組合では「公務員は労働者であって、全体の奉仕者ではない」というような事を自治労では言っていた。労働者学級というような学習講座があって、それに参加すると組合の幹部になる、そういう風習もあった。そこでも盛んに労働者魂を叩き込む訳です。そういう教育のプロがいて、マルクスやエンゲルスの理論を教えてくれた。我々は搾取されているんだと。
 細かいところはともかく、公務員も労働者であるということはおおむね賛同できた。というか、私の場合は学生時代にマルクスやエンゲルスなどの古典といわれているものはある程度読んでいたので、ほとんど復習に近かった。でも、なぜかシックリこなかった。それは、全体に奉仕することと労働者であることは対立関係にあるのか?全体に奉仕する労働者がいてもいいんじゃないか。そう感じていた。公務員を希望した者の中には、住民のために仕事をしたい、そう思っている人も多くいたので、私と同じような違和感を抱いた人もいたと思う。それと、搾取という概念が、一般的に話されただけで、公務労働での搾取ということの説明はされなかった。当時労働者魂を盛んに啓蒙していた彼らは、今ではとっくに転向して階級闘争を放棄しているようだ。跳ねてる人にはエセ革命家が多いことも経験させてもらった。
 当時は、全国に革新自治体といわれる都道府県がいくつもあり、政令都市は全部、全国には市町村をふくめると相当数あった。革新自治体で理論化されていたものに、公務労働があった。それは、哲学者であった芝田進午氏の「公務労働の理論」であった。この理論は目からうろこだった。全体の奉仕者と労働者を見事統一させた理論だった。この理論が今更のようにこれから生かされていくような気がしてならない。
 この理論がこれからますます価値あるものになっていくと考えられるのは、二つの理由がある。一つは、私の仕事上からくるもの、もう一つはこれからの少子高齢化社会を支えていく上での理論的基礎となる。そう思うからだ。