最近は家にテレビを置かないって人も
結構増えてきましたね。
私はまだあるんですが、テレビを観ない生活に
なって久しくなります。特に主義主張が
あってそうなったわけでもなく
「自分の時間を確保したい」とおもうように
なったのをきっかけに優先順位を考えたら
テレビの時間が自ずと下がって、
そのうち見ない生活が日常になってしまった、
というものです。
テレビをはなから否定してるわけでもないので
年に一度、大晦日になるといそいそ
電源コンセントを入れたりもします。
でも、テレビを観ない生活になると
ふだん聞こえる音といえば自分の好きな
音楽やオーディオ教材の音声だったり
なにもなければ鳥のさえずりや
雨が窓を叩く音や加湿器の音なんかに
耳を傾けてたりもします。
自分が選んだ音、好きな音、心地よい音に
包まれた空間というのは、当たり前ですが
幸せだなぁとおもいます。
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ある音に対する日本人の脳の処理の仕方が
独特である、という話はどこかで
聞いたことがあるでしょうか?
東京医科歯科大 現名誉教授で医学者の
角田忠信さんという方が、今から約30年前、
キューバで開かれた国際学会を訪れた際
蝉時雨のごとく会場一帯に響く虫の声を聞いて
「これはなんという虫ですか?」
と周囲に尋ねたら
「何も聞こえない」
という反応だった、という話があります。
これは、地球上にいるほぼ大半の人間が
感性や感覚を司る“右脳”で虫の音を
処理するのに対して
日本人は論理的な事柄を司る“左脳”で
処理しているということを裏付ける
エピソードです。
正確には、母国語が日本語(かポリネシア語)
である人にみられる特徴なんですが
右脳が処理する雑音や機械音や音楽ではなく、
言語野を内包する左脳で、
“虫の音”をいわば “声”としてとらまえている
というのが日本語を扱う私たちがもつ
能力の一つ、というワケです。
万物に魂は宿るという言葉が存在するように
日本語には独特の世界観、自然観がありますが
人も虫も同じ生きとし生けるもの
虫の鳴き声を人の言葉とおなじように
耳を傾けている
そんな日本語が秘める高い精神性をおもうと
私はグッときます。
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私たちの生活空間にはいろんな音が存在します。
好きなモノに囲まれると豊かな気持ちになるように
好きなオトに囲まれるのも、本当に良いものです。
同居人がいる人でも、たとえば
お風呂の中では静かに過ごしたり
好きな音楽を流したり
部屋で集中したいときにはヘッドフォン
ひとつで自分だけの空間を生み出すことも
できるとおもいます。
テレビに関していうと、個人的にはちょっと
不要な情報が溢れてる感をおぼえます。
自分が意図しない音や情報に
必要以上に触れるということは
そのぶんの情報も包含した上で
脳がふるいにかける作業を
毎回おこなうことになります。
余分な力を脳に使わせてるのだとしたら
もったいないなあとおもいますが
全く観ない生活に振り切るのは無理、
と感じる人もいるとおもうので
テレビを観るときには一呼吸おいて
なぜ必要なのかを考えて“選択”するのも
一つです。
やる気が湧くもの
感情が穏やかになるもの
感性を刺激されるもの
学びになるもの
たとえばこんな基準をもって
“選んで観る”ってことを意識すれば
良いんじゃないかとおもいます。
日本語を操る私たちには
他の民族にはない、特別な
“聴く力” があります。
そんな私たちだからこそ
“音” という目に見えないモノにも
丁寧に向き合うことで
より豊かな生活空間を創ることも
できるんじゃないかとおもうのです。
