前回の記事でRASという

脳の機能について触れましたが

 

私自身はじぶんの意識が大きく

変化していったとき

 

脳の働きについて全然知らなかったので

後から知って

 

「なるほど。そういうことだったのか」

とおもいました。

 

私の場合は、将来の目標やゴールを

設定して動きはじめるなか

 

じぶんのいろんな思考のクセを

初認識したり再認識したり

 

その都度、一時的に戸惑うことはあっても

「過去(記憶)に縛られてる場合じゃないや」

 

とおもいなおして、行動パターンを

上書きしていきました。

 

思い悩むより、描いた目標を実現したい

モチベーションの方が勝ったんですね。

 

向かいたい方向が強く

明確になってたからこそ

 

そこへ向かうために必要な情報 ー

 

今まではRASを通り抜けることの

なかったような情報を

 

脳が“必要”と判断して顕在意識が

認識できる領域へ落としてくれたんだな、

 

と解釈できたワケです。

 

     ***

 

そもそも、私たちはあれこれと

思い悩めること自体が

 

じつは 幸せ、とも

私はおもってます。

 

考えることは生きてる最中

誰にでも生じるプロセスですが

 

一方でそれは、そうするだけの 

余裕や時間がある

 

ってことでもあるんです。

 

それに、生まれてから今日まで

私たちはどう考えても

 

ヒトとして成長の一途を

辿ってるんだし、そう考えたら

 

どんな過去(出来事)も

ぜんぶ必要だったんだな。

 

と受け取れる側面も

あるとおもいます。

 

 

「過去は自分を縛るものではなく、

 活かすものだ」

 

とは私が一方的に学んだ

芸人さんの教えですが

 

そんな芸人さんの姿勢を

心に留めおくことでも

 

人生をより面白い方向へと

舵を切るきっかけの一つに

 

なることだってあるんじゃないか

とすらおもってます。

 

     ***

最後に話を“家族”にもどします。


私は先に書いたような歩み、

思考や行動を重ねて

 

そして誰もがもつ脳機能が
正常に作動してくれた結果、

“自ら親を選んでこの世に生まれてきた” 

という言葉も一つの解釈として、また

事実として自分の中で変換されていきました。

 

それは、自分が「どうなりたいのか?」

という目標ゴール

 

真面目に考えて行動していくなかで

 

生まれ育った家庭や両親の存在を

どう位置付けたいのかも自ずと決まり

 

極端な言い方をすれば

“自分の都合の良いように”

 

その位置付けが

変化していったワケですが

 

正確にいえば

両親のことにはさほど固執せず

 

自分がどうしたいか、どうなりたいか

考えて、行動していくうちに

 

同時に、その存在意義が

書き換わっていった

 

と表現したほうが適切です。

 

物事の何か一つだけうまくいく、

ということは

 

経験則上もないからいうんですが

同心円状に物事が広がるイメージです。

 

 

こんなふうに書いてしまうとどうしても

「願えば叶う」という

 

安易なスピリチュアル論の

ススメのように映ったり

 

「これはこの人(私)の例であって

じぶんがうまく行くとはおもえない」

 

と感じる人もいるかもしれません。

でもそれはまったく本意ではないので

 

再現性の観点からも

脳の働きについて書いたり

 

実際に何をして、どんなことを考えたのか

ということに触れました。

“生まれた育った家庭”や“両親”

というあたかも選択肢もなく

 

あてがわれたような空間すらも

じぶんの意思で彩りを変えていくことは

 

脳機能を考えても“できる”ということが

多少なりとも伝わるとうれしいです。

 

 

じぶんと家族
じぶんと、親、子、伴侶を
どんな線で繋いでいくか


もしもその作業に骨が折れたり

時間がかかったとしても


その空間が仕上がったとき

それはきっと、心打つ作品として

あなたの眼前に現れるはずです。