
京都の太秦は広隆寺と映画村の間ぐらいにあった大酒神社。
お酒の関連をまつった神社かと思いきや、秦の始皇帝をお祀りしていらっしゃる。
「仲哀天皇の御代、秦始皇帝14世の孫・功満王(クマンオウ)が漢土の兵乱を避けて来朝。
応神天皇14年、功満王の子・弓月王(ユヅキノキミ)が百済から127県の人々18,670余人を率いて渡来した。
雄略天皇15年、その孫・酒公(サケノキミ)が絹綾錦の類を夥しく織りだして朝廷に献上した。絹綾錦布が山のように積み上がったので、天皇は喜んで、酒公に“うずたかく積む”の意をもつ『禹豆麻佐』(ウズマサ)の姓(カバネ)を贈った」
始皇帝の子孫である功満王が国の乱を避けて朝鮮の百済にわたり、その子供の弓月王が百済から18670人近くのおそらく家臣を連れて日本へと渡ってきた。
そして弓月王の孫である酒公が絹や錦を織った物を大量に日本の朝廷に献上したことに喜んだ天皇が、「うづたかく積む」という意味の「禹豆麻佐」と書いてうづまさと読む性を送ったという事らしい。
機織りの技術を伝えたという秦氏の祖神がこの秦の始皇帝の一族という事なのだそうな。
元々は秦氏が建立したという広隆寺内にあったものらしいが、明治時代の神仏分離令によってこの場所に建立されたそうな。
歴史は好きだけど、古代史をしっかり学んだ事もなかったから知らなかったけど、始皇帝を祀る神社とかあったのね。
秦氏の由来とか知ってればピンとくるってことだよね。
で、なんで大酒神社なのか?
祭神の一人である酒公から来ているとか、お酒の醸造法を伝えた秦氏の祖神の神社だからとかいう話もあるらしい。
しかし、兵庫県にある同じく秦氏である秦河勝を祀る神社は大避神社と言うこともあり、古くは延喜式にも大避神社とあるらしい。
なので、「避」という漢字を使うのが本来正しいのではなかろうか。
「避」の文字には、民俗学では隔絶、隔てるなどの意味があるとされており、民俗学でいう境界の意味もあるのではなんて話も調べていたら出てきた。
いろいろな説もあるところだが、いわゆる禍を避けるという意味合いがあったり、境界という意味でもやはり外からくる災厄を避けるという意味合いがあったのかもしれないと思うのです。
そういった難しい話も面白いですが、日本の神社で秦の始皇帝を祀るということ自体が珍しく面白いものだと思えます。
秦氏が本当に始皇帝の子孫であったのか、それとも始皇帝の遺臣たちの集まりであったのか、そこのところはもうすでに歴史の彼方であり、証拠が出てくることはなさそうですが、彼らが始皇帝の子孫を称する事に当時の日本においても意味があったとするなら、それはそれで興味深いと思うのです。