公開してすぐに「風立ちぬ」を見てきたわけです。
関東大震災を経験し、厳しい国際情勢の中、戦争へと向かう日本。
その中で、飛行機の設計者として生きていく一人の人間とその恋愛。
そんな映画。
マニアックな人間としては飛行機に新しい技術を導入したいと語り合うところや、空想世界ではないところの航空機の話などは純粋に楽しめたと思います。
映画の中で、ある男が言います。
この飛行機は爆弾をたくさん積んで町に落とす。
町は火の海になるだろうし、この飛行機も簡単に落ちる。
だがそんなことは私の知った話ではない。
私はやりたいことあってそのために全力を尽くす。
戦争が終わったら、100人の人を運ぶ飛行機を作ると。
飛行機という最新技術は世界中で研究され、その目的は人類の平和のためではなく、戦争でいかに勝つかという目的のための技術。
飛行機に限らず、技術開発は軍事目的で開発され、のちに一般社会に転化してくるものが多い。
GPSやゴアテックスなんかもそうだ。
だが、開発者は軍事目的であること知りながらも研究をやめることはできなかったのだろうと感じる映画だった。
軍事目的というのは国の目的であり、開発者や技術者はその先にある自分の思い描く理想を求めていたんだろうと思おう。
そのためには、なんでもしたかもしれないという話だ。
主人公の友人が飛行機を開発する。
それはユンカースの機体を応用したものであった。装甲板などない機体で、翼面に燃料が入っていた。
機銃で撃たれれば火を噴く。
それを知っていても国が生産を命じてくれば企業として応じる。
改良を求められ、装甲板をつけようと提案しても説得できずに却下されればそれまでだ。
それでも、自分の理想の機体を設計するには甘んじて受けて実績を積まねばならない。
国も企業もただで金をくれるわけではない。
そういった苦悩の中で、好きな人の出会いと別れを描いている。
「生きねば」
このメッセージは強い。
今の日本も東日本大震災でダメージを受け復興が始まっているが、なかなか進まない。
福島第一原発は、汚染水、廃炉の準備など問題は何一つ解決されず山積みだ。
高レベルの大気汚染は無いようだが、低レベルの汚染はゼロではない。
それでも大金持ちでもない市民の私は、この国で「生きねば」ならぬ。
金のある者、覚悟のある者は海外で永住権取得を目指すのもいい。
西日本へ引っ越すのもいい。
それは個人個人の判断だと思う。
故郷、仕事、財産、恋人、両親、子供、友人多くのしがらみを超えて抜け出せる者はそれでいいと思う。
でも、みんながそうではない。
チェルノブイリの汚染区域に住む人は諦めて住んでいるのではないと思う。
その土地に、その家に、その場所すべてに価値があるという事だ。
それは、尊厳を守ったともいえるかもしれない。
その土地で死を待つのではない、その土地と生きていく覚悟の表れではないだろうか。
「生きねば」この言葉の中には、現在のこの日本という環境の中で、安易に他者を非難するでもなく、現実から逃避するでもなく、多くの意見と向き合い精査し、自分に出来ることをして生きていくという意味があるようにも思える。
関東大震災を経験し、厳しい国際情勢の中、戦争へと向かう日本。
その中で、飛行機の設計者として生きていく一人の人間とその恋愛。
そんな映画。
マニアックな人間としては飛行機に新しい技術を導入したいと語り合うところや、空想世界ではないところの航空機の話などは純粋に楽しめたと思います。
映画の中で、ある男が言います。
この飛行機は爆弾をたくさん積んで町に落とす。
町は火の海になるだろうし、この飛行機も簡単に落ちる。
だがそんなことは私の知った話ではない。
私はやりたいことあってそのために全力を尽くす。
戦争が終わったら、100人の人を運ぶ飛行機を作ると。
飛行機という最新技術は世界中で研究され、その目的は人類の平和のためではなく、戦争でいかに勝つかという目的のための技術。
飛行機に限らず、技術開発は軍事目的で開発され、のちに一般社会に転化してくるものが多い。
GPSやゴアテックスなんかもそうだ。
だが、開発者は軍事目的であること知りながらも研究をやめることはできなかったのだろうと感じる映画だった。
軍事目的というのは国の目的であり、開発者や技術者はその先にある自分の思い描く理想を求めていたんだろうと思おう。
そのためには、なんでもしたかもしれないという話だ。
主人公の友人が飛行機を開発する。
それはユンカースの機体を応用したものであった。装甲板などない機体で、翼面に燃料が入っていた。
機銃で撃たれれば火を噴く。
それを知っていても国が生産を命じてくれば企業として応じる。
改良を求められ、装甲板をつけようと提案しても説得できずに却下されればそれまでだ。
それでも、自分の理想の機体を設計するには甘んじて受けて実績を積まねばならない。
国も企業もただで金をくれるわけではない。
そういった苦悩の中で、好きな人の出会いと別れを描いている。
「生きねば」
このメッセージは強い。
今の日本も東日本大震災でダメージを受け復興が始まっているが、なかなか進まない。
福島第一原発は、汚染水、廃炉の準備など問題は何一つ解決されず山積みだ。
高レベルの大気汚染は無いようだが、低レベルの汚染はゼロではない。
それでも大金持ちでもない市民の私は、この国で「生きねば」ならぬ。
金のある者、覚悟のある者は海外で永住権取得を目指すのもいい。
西日本へ引っ越すのもいい。
それは個人個人の判断だと思う。
故郷、仕事、財産、恋人、両親、子供、友人多くのしがらみを超えて抜け出せる者はそれでいいと思う。
でも、みんながそうではない。
チェルノブイリの汚染区域に住む人は諦めて住んでいるのではないと思う。
その土地に、その家に、その場所すべてに価値があるという事だ。
それは、尊厳を守ったともいえるかもしれない。
その土地で死を待つのではない、その土地と生きていく覚悟の表れではないだろうか。
「生きねば」この言葉の中には、現在のこの日本という環境の中で、安易に他者を非難するでもなく、現実から逃避するでもなく、多くの意見と向き合い精査し、自分に出来ることをして生きていくという意味があるようにも思える。