千葉県の真ん中あたりか、ちょっと南か、そのあたりに長南町という町がある。
そこで、紅花の畑があるというので先月、見に行ってきた。
あるお寺のすぐわきにある紅花畑は台風の被害で、倒れるものが多かったが、生き残ったものが頑張っていた。
なんで、またこんなところで紅花と思ったのは私だけではないはず。
昔、桓武天皇の勅願によって寺が建立されたのだとか。
勅号を「三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺」といい、日本一長いらしい。
中世には東叡山とまで呼ばれ、その後も房総三国の大本山として、江戸時代まで多くの信仰を集めたお寺らしいです。
さて、そんなこのお寺の近辺を朝廷より託されたのが、菅原道真の息子。この地に来てからは長南次郎を名乗った人物。
この時、この長南氏が持参し、生産したのが紅花だ。
長南氏の紅花は都での紅の原料として重宝されたようです。
時は流れ、応仁の乱が差し迫るころ。
朝廷の権力はもちろん、幕府の支配も衰えが見えたころ。
この地も戦火に飲まれます。
甲斐の守護職武田氏の二男であり、甲斐の国人であった武田信長に攻められ長南氏は降伏。
そして、一族は陸奥の国の方へと流れて行ったといいます。
現在の山形県や、岩手県に落ち着いたとされます。
そして、その子孫が作り、有名になったのが山形の紅花という事のようです。
実際に、山形にも長南という地名があり、その痕跡が見られるとか。
そんな紅花を長南でも復活させようと運動があり、長福寿寺も協力しているという事のようです。
ちなみに、武田信長は、のちの武田信玄と同じ流れを持つ武田一族。
その子孫が真里谷氏として戦国時代に真里谷城を中心に、里見氏が台頭するまで上総国を治めたんだそうな。

