太平洋戦争中に千葉には第二五二海軍航空隊の飛行場がありました。
昭和16年に建設が始まった大きな基地でした。
海軍の主力戦闘機隊としてラバウル、フィリピン、硫黄島と転戦した部隊の基地でした。
写真の援体壕とは、零戦を敵の目から隠し守るためのものでした。
全部で20基ほどあったと言います。
市が管理保存しているのは写真のものだけかも知れませんね。
戦争の歴史を肌で感じる遺跡です。
昨日の写真にあったのはこちらで、特に何も保護されていない様子でした。
小学校の頃は他にも幾つか残っていて遊び場所でしたね。
古いものなので、危険だから近付くなとは学校で言われてましたけどね。
でも、秘密基地っぽいじゃないですか。
中に入って気がついた事があります。
天井の様子です。
援隊壕は、土の山を作り、入り口を木枠で確定し、天井部分は、ムシロ、砂利、金網、コンクリートと重ねて作られたものだと言う事なのです。
この天井のに写る四角い升目はムシロの後なんですね。
そして、要所に重石をおいたので、石がそのまま斑点の様に浮かんでいます。
昔の作業が手に取る様に想像できる事に驚きました。
これは天井の一部をアップにしたものです。
コンクリートにムシロの跡があり、崩れた所からは金網が見えています。
これはムシロの目ですね。
当時は、これを近隣住民や、中学校や農業学校の生徒が手伝って作っていたと聞きます。
これは、歴史の爪痕。
どう語り、どう残すのかは人の問題ですが、この遺跡はただ黙して語っているのだ感じたのです。
この援体壕を作った時、そこに木は無かったはずです。
飛行機を出すのに邪魔ですからね。
それから、60年の時を経て、そこには大樹が根を張っています。
そんな事を思って撮った一枚でした。
思えば町の地図に、基地の面影、歴史の爪痕が残った町なのでした。





