文・堺雅人/堺雅人


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 今夜から始まるテレビドラマ「JOKER」に主演している堺雅人さんのエッセイです。



 買ったのは昨年で、すでに読了しているのですが、たまに読み返すお気に入りの一冊。



 役者・堺雅人が気が付けば好きになっていました。



 その切っ掛けは、「壬生義士伝」の沖田総司役ですね。



 美剣士と噂されますが、実際はヒラメ顔とだったという沖田のイメージにあうかなと。


 


 さらに、微笑みながら人を切り捨てる怖さが出てましたからね。



 そんな切っ掛けで気になった堺雅人さんです。以来、出演・主演映画を結構見ています。



 「壬生義士伝」


 「スキヤキウエスタンジャンゴ」


 「南極料理人」


 「クヒオ大佐」


 「ゴールデンスランバー」


 「ジェネラル・ルージュ」



 こんな所でしょうか。



 このエッセイででは、「ジャンゴ」や「南極料理人」に大河ドラマの撮影の時の話なども出てくる。



 なかなか独特な文章なのだが、その考えは、私の心に響いてくるんです。



 そうそう、このエッセイは、もともと、「テレビNavi」で連載されていたものです。



 毎月、購読していたんで、実は一度全部読んでいるんですよ。



 それでも、面白いといえるのがこの一冊なのです。


 


 といっても、わからないと思うので、「霊」というタイトルの話を要約して紹介しましょう。



 


 その話の中で、彼は、幽霊などを見たことがないと言う。



 歴史上の人物を演じていても、夢も幽霊も見たことがないと。


 

 だから、「みえる」ヒトビトへの憧れがあって、それは、今でもあるのだそうだ。


 さすがに「幽霊を見たい」とは思わなくなったそうだが、見えないものが見えるヒトビトへの憧れはあると。


 

 それは、画家や詩人が自分の知らないイメージを見ていることへの憧れと同じなのだという。




 同じ風景を見ていても、彼らの目が何を見ているのかは、その後、作品の中から感じ取るしかできない。


 

 自分の知らない風景が、この世界に広がっているとして、それを教えてくれるのが彼らの作品なら、彼ら天才の作品を通してしか見ることができないのだ。


 

 人は、天才というヒトビトに憧れるのと同時に恐れているのだろうと彼は言う。


 


 それは、幽霊を見たという同級生を眺めていた頃と変わっていないのではないだろうか。


 

 羨望と畏怖と好奇心のあわさった視線なんだろうってね。




 幽霊など見えない存在への答えを彼は論語に見つける。




 「在(いま)すがごとく祭れ」




 この便利な考え方を採用してるのだという。




 神社では神が居るがごとく、お墓には祖先がいるがごとく、祭る。



 それが見えないヒトには良いのだと。


  



 この考え方には、納得でしたね。



 私も見えない人なもんでね。


 


 以来、寺社仏閣や教会ではそこに「在すがごとく祭れ」という事にしております。 



 日本人らしいと思いませんか。



 クリスマスにキリストの生誕を祝い、新年に神々へ詣でる。


 


 結婚ではキリスト教でも、神道、仏教なんでも有りで、最後はだいたいお寺のお世話になる。


 


 実際、従姉妹は神父に結婚の誓いを立てていたが、家は浄土真宗です(笑)



 そんな、日本人にはその場所に応じて「在すがごとく祭れ」で良いのではないだろうか。



 便利な解釈をしているのかもしれないが、それで良いと思うのだ。


 


 と言うわけで、結構面白いと私は思っている一冊です。



 よかったら、手にとって見てください。



 


 



 さて、今宵始まる「JOKER」ですが、私のイメージは昔の「ハングマン」なのだが、多分間違いだろう(笑)