今日2月23日は、日本調教馬として初めて海外重賞制覇を成し遂げたハクチカラの勝利の日です。64年前のこの日、長期遠征を行っていたハクチカラが11戦目にしてワシントンバースデイハンデに優勝。これは、日本競馬史上初のアメリカ競馬での勝利でした。

 ハクチカラは、1953年北海道浦河のヤシマ牧場産。父は名種牡馬のプリメロの仔、トビサクラで、馬主は西博、調教師尾形藤吉、主戦騎手保田隆芳。大の付くオーナー、調教師が気に入ったハクチカラはダービー1着賞金200万円を上回る300万円という最高価格の馬でした。そして、キタノオーというライバルにも恵まれ、ダービー、秋天、有馬記念に優勝。32戦20勝の成績でアメリカ遠征となりました。

 

 飛行機によるカリフォルニアへの輸送も初めて。その他色々苦労しての遠征でした。当初は慣れない環境で成績はさっぱりでしたが、芝コースに代わると、徐々に成績は上向き、堅実な走りで上位入線を繰り返しました。そして、保田騎手が帰国し、レイモンド・ヨーク騎手に乗り替わったワシントンバースデイハンデでは、16頭立て15番人気でしたが、レース途中から先頭に立つと、軽ハンデを利してそのまま逃げ切り歴史的な勝利を上げたのです。このレースには、当時の世界賞金記録を持っていたラウンドテーブルが参戦しており、11、5キロ差の負担重量やレース中の故障もあって恵まれたことは事実ですが、価値ある勝利と言えましょう。尾形調教師は、遠征するからには半年前に行って育成調教をする必要がある、と述べています。これは、後にエルコンドルパサーが凱旋門賞に半年前から遠征して成功したことにつながるでしょう。また、この遠征で保田騎手が持ち帰ったモンキー乗りは、競馬界にも大きなインパクトを与えました。

 

 1950年代を代表する競走馬としては、メイジヒカリ、ハクリョウが横綱で、キタノオーとハクチカラが大関というのが、専門家たちの意見でしょう。ハクチカラは、ダービーは運が良かった面もありましたが、3歳時はメイジヒカリやキタノオーには分が悪かったのですが、晩成型で4歳秋は無敵の快進撃でした。いずれにしても強い馬で海外遠征に立ち向かった陣営の勇気を讃えましょう。晩年はインドへ寄付され、当地でクラシック馬を輩出しました。1984年にJRA顕彰馬に選出されています。

 今週はサウジで国際レースがあり、日本馬が大挙遠征しています。夢のような時代ですが、64年前に最初に挑戦したハクチカラの名は永遠に日本競馬の中で輝き続けることでしょう。