私が若い頃競馬で最も影響を受けた人に寺山修司さんがいます。寺山さんは有名な作家であり、歌人、詩人、演出家、映画監督など大活躍で時代の寵児となっていましたが、当時の「優駿」などで競馬に関しても多くの著作を残しています。「競馬場で逢おう」など宝島社が出した競馬シリーズはすべて持っています。どこに惹かれたかと言えば、1頭の馬にはそれぞれの物語があるという姿勢です。同時代に生きたもの言えぬ馬に対しての愛情のようなものだと解釈しました。当時の競馬会のCMにも痺れましたね。
「カモメは飛びながら歌を覚え、人生は遊びながら年老いていく」など、今でも覚えています。
私は若気の至りで、当時作っていた「エクリプス」という競馬サークル誌を競馬関連作家などに送っていました。当たり前ですが、もちろん返事などありません。しかし、一番多忙だと思っていた寺山さんから返事があったのです。秘書の方からでしたが、「寺山は面白いといっていました。もっと続けてくださいとのことです。」そういう簡単なものでしたが、私は有頂天になりました。寺山さんは、1983年5月4日病死します。その前に、大好きだった吉永正人が乗ったミスターシービーの皐月賞を見るため、病院を抜け出してテレビ出演をしていました。皐月賞の快勝を見ることは出来ましたが、ダービーを見ることはかないませんでした。競馬を人生やドラマになぞらえて語った稀有な詩人でした。
久保カメラマンは、若い時一度だけ寺山さんに誘われて飲みに行ったとき、「うちへ来ないか」と言われ、どんな豪邸かと思えば、普通のアパートだったと言います。豪華な家に住むのではなく、自分の人生は作品の中にある。立派なお墓など要らないという事です。
2013年寺山修司没後30年記念事業が始まり、私は道頓堀ターフ倶楽部で企画展「寺山修司と競馬」展を開催しました。記念事業の事務局に連絡して、その末端に加えてもらいました。認証がいったのですね。事務局の代表者の方に「競馬が加わるのは初めてです」と言われました。また、出身地である青森県三沢市の「寺山修司記念館」にも取材と称して赴きました。寺山さんは記念館的なものはいらないという事を生前述べていましたが、多くの彼を慕う人たちの奔走で、ユニークな記念館が建てられていました。美しい小川原湖の畔の記念館は静かで、時が止まっているようでした。
企画展は残念ながら入場者は少なかったのですが、自己満足かもしれませんが、やれてよかったと思っています。その何年か後に偶然横浜の港が見える丘公園の美術館で寺山修司展があるのを知り、競馬を兼ねて行って見ると若い人も多く盛況でした。どうやら関西より関東の方がファンが多いのではないかと思った次第です。ただ、競馬関連は少なかったですね。
企画展の時、年配のおじさんが入ってくるなり、「こいつはウソつきや」と言うので、私は「それは作家にとって最高の誉め言葉ですよ」と言いました。確かに寺山さんの作品では特に母親ついて、どこまでが本当なのか現実と虚構が入り混じっています。しかし、作家の中では、ウソは当たり前のことです。浅田次郎さんは、作家はウソを作る職業だと言います。おじさんはぶつぶつ言いながら出て行きましたが、いくつもの本を読んで何か騙された気になったのかもしれません。
「さよならだけが人生だ、というつもりはないが、さよならにだけはおさらばしたくない」 寺山修司