今日1月22日は、44年前テンポイントが骨折した日経新春杯が行われた日です。それは粉雪が舞っていた寒い日でした。海外遠征の壮行会的なレースで、誰もがテンポイントに注目していました。先行していたテンポイントが4コーナーで競争を中止。「何としても無事で・・・」という杉本アナウンサーの絞り出すような声が事態の深刻さを教えてくれました。それから1か月半の闘病の末、テンポイントはファンの祈りも空しく天に召されたのです。月日の経つのは早いもの。もうテンポイントの生まれ故郷の吉田牧場も生産をやめています。

 

 私的なことで残念なのは、テンポイントがダービーで骨折し、栗東へ戻った時、会いに行きました。馬房で何枚か写真を撮らせてもらい、「早く元気になれよ」と語りかけました。その時、側にいた鹿戸騎手にテンポイントと一緒の写真を頼むのに躊躇して、撮ってもらわなかったことです。今手元にあるのはテンポイントだけの写真です。また、あの日経新春杯は、66,5Kという斤量を背負いましたが、誰か一人でもやめさせることを進言する人がいなかったのかとも思います。そして、その後テンポイントの碑を京都競馬場に作ることを誰も言い出さなかった事にも残念だと思います。最初の個人的なことは別として、後の二つは過ぎ去ったことですが、何とかならなかったのかと思います。

 

 競馬をやめようと思ったのはこの時だけでした。思い止まったのは、ライバルの存在でした。トウショウボーイの仔が活躍するところを見たい、そしてまだ現役を続けるグリーングラスの事でした。グリーングラスは菊花賞で、すい星のごとく現れテンポイントとトウショウボーイを破りました。その後三強と言われ、TTGの愛称で親しまれました。グリーングラスにはぜひとも有馬記念を勝ってほしいと私は思っていました。トウショウボーイもテンポイントも有馬記念を勝っています。三強と言われるならぜひこのレースをものにしてほしい。私の願いは中山へと足を向けさせたのです。1979年12月16日、中山競馬場のゴール前のスタンドに私は立ち尽くしていました。グリーングラスの単勝を握りしめて・・・。

 

 グリーングラスは当時の表記で7歳になっていました。足元に不安を抱えている中で、前年の春天以来勝利はありませんでした。それでも2番人気に支持され、テン乗りの大崎昭一に乗り替わり、得意の好位からのイン抜け出しを図ります。直線先頭に立ったグリーングラスにメジロファントムが襲い掛かりました。際どい写真になりましたが、私ははっきりとグリーングラスが残したのを見ました。嬉しかった。同世代でライバルの3頭が有馬記念を勝ったのです。私にとって永遠の三強でした。私の頭の中で、馬名の由来となった「思い出のグリーングラス」の曲が流れていました。4年後トウショウボーイは三冠馬ミスターシービーを出し、私たちを熱狂させました。グリーングラスも長距離血統の不利も乗り越え、地味ながらもエリザベス女王杯のリワードウィングを始め、何頭かの重賞勝ち馬や入着馬を出しました。日本競馬史の中で燦然と輝く三強です。