友人から大阪城へ行こうと誘いがありました。なぜ今大阪城?と問うと、コロナで中国人が来てないからチャンスや。それに今年改築90周年やぞ。というのです。10年ほど前から日本100名城巡りをしていて、半分ぐらい行きましたが、コロナでお休みとなり、それほど執着はないので、もういいかと思っていたのです。大阪城は初期に行ってたので、もう行かないつもりでしたが、付近もかなり整備されたとのことで行くことにしました。ここ数年はインバウンドで中国人が押し寄せて盛況だったようですが、今は静かなもので、ゆっくり見物できました。御座船というのが出来ていて、内堀を巡る船に乗って近くで城を眺められました。城本体は鉄筋コンクリートで博物館になっており、修学旅行生が来ていました。

 

 今の大阪城は三代目で、初代は豊臣秀吉が築城。天下の名城と言われる巨城を誇り、日本一の高さを誇る石垣が有名です。大坂夏の陣で徳川に滅ぼされ,城は炎上。徳川秀忠により再建されましたが、1665年に焼失。市民の寄付により1931年(昭和6年)に三代目が完成。今に至っています。太平洋戦争では、焼夷弾の雨にも奇跡的に生き残りました。石垣に黒く残っている跡が焼夷弾の影響とのことです。近くの大坂歴史博物館では、焼夷弾の実物があり、筒のようなものの中に爆発したら燃え盛る物質があり、その恐ろしさは戦時を生き抜いた人々によって伝えられています。

 

 この付近には、東洋一といわれた大阪砲兵工廠があり、最盛期には20万人もの人が兵器などを作っていたので、空襲ではそこを狙われたのです。私の叔母もそこに和歌山から勤労奉仕に行っており、焼け出されて、どうせ死ぬのなら両親のもとでと、和歌山へ帰りました。家内の母もそこへ行っていました。多くの国民がお国のためという名目で勝てるはずのない戦争に巻き込まれていったのです。明日は真珠湾攻撃の日、開戦記念日80周年です。二度と戦争はしないで!という教訓を伝えてきた人たちも多くが90代になりました。日本人だけで310万人という犠牲者を出した太平洋戦争。何故無謀な戦争に突き進んでいったのか、その検証をしっかりとして、次代に繋がなくてはなりません。

 

 お城巡りはもう適当にしますが、国宝5城だけは行っとかないと。後、松江城だけなのです。いつか行こう!そういえば、競馬場巡りも残すは船橋だけです。ここもいつか行こう!ところで、昔は多くの馬が飼われていたと思うのです。お城の近くにもそんな場所があったはず。「馬ひけー!」と、殿様が言えば、馬係が馬を引いてくるという感じでしょうか。そんな場所が一つだけ残っていました。国宝彦根城です。ここには唯一「馬屋」があるのです。私も覗いてみましたが、残念。生きた馬はいなくて張りぼての馬がいました。それでも当時の雰囲気はありましたね。

 

 チャンピオンズCは、テーオーケインズが6馬身差というチャンピオンズC史上最大の着差で圧勝しました。今後のダート界をしょって立つ存在になるでしょう。父のシニスターミニスターはダート種牡馬として実績があった馬ですが、やっと大きなタイトルをつかみました。注目されたソダシは、軽快に逃げましたが、直線に向いたところでギブアップ。やはり、いきなり歴戦のダート馬たち相手では荷が重かったようです。