1週目の小倉は好天で芝のレコードタイムが続出しましたが、2週目はうって変わってスコールが来たりしてダートは重馬場。昔夏の小倉へ行くとよくスコールに会いました。弁当忘れても傘忘れるなという土地なのですね。玄海灘が近く魚が美味しい土地でもあります。冬に行ったことは一度もなくて、一度行って見たいなぁと思っていますが、いつになることやら。
さて、先週土曜日のダート1000mで56秒8という日本レコードが生まれ、日曜日の重賞プロキオンSでは、1700m1分40秒9という日本タイレコードで、小倉のコースレコード(1分41秒8)も更新されました。
このダート1700mのレコードというのは、長らくタケシバオーが持っていました。1700mはローカル競馬場のコース設定でよくありますが、タケシバオーのタイムは改装前の東京のオープンで出されたものです。60キロで大差勝ちしたのです。怪物と言われたタケシバオーは、4歳時に本格化。かなり弱い世代でしたが、この馬は、距離の長短、馬場も問わず、8連勝と快進撃。特にダート戦での強さは桁違いでした。父のチャイナロックは、ゲイタイムと同じロックフェラの仔で、リーディングサイアーになるなど大成功しました。斤量にも強く、タケシバオーは不良馬場で65キロを背負ってオープンを勝ったこともあります。
チャイナロックの仔で有名なのは、何といってもハイセイコーです。ハイセイコーも中距離では良馬場でも重馬場でも強く、レコード勝ちや重馬場での大差勝ちがありました。ダートは中央では走りませんでしたが、地方時代は大差勝ちばかりで、恐らくタケシバオーと同じくらい走ったでしょう。タケシバオーは、南関東の三冠馬で、更に東京大賞典で初の四冠を達成したハツシバオーを出しました。ハイセイコーも芝のGⅠの他にダートではライフタテヤマを出しました。ライフタテヤマは、ダートで底を見せないまま引退しますが、当時地方最強と言われた、フェートノーザンをウィンターSで問題にしませんでした。このように、タケシバオーもハイセイコーも種牡馬として成功しましたが、父系は続きませんでした。
タケシバオーの時代に地方で最強と言われたのが、同じチャイナロック産駒のヤシマナショナルです。中央では普通の馬でしたが、晩成型で地方へ移ってから本格化し、東京大賞典など大レースを勝ちまくるのですが、何といっても凄いのが70キロ以上を背負っての勝利です。流れ流れて高知競馬場で引退し種牡馬になる予定が、火災のため命を落とします。もし無事なら地方競馬の発展に種牡馬として貢献したかも知れません。地方競馬のオールドファンは、「ヤシマナショナルこそ怪物や!」と叫んでいましたね。
さて、このダート1700m1分41秒9という破格のレコードタイムは、当時芝の1700mのタイムも上回るものでした。このタイムをついに破ったのが、2006年小倉でのサンライズキングでした。0、1秒更新するのに37年間かかったのです。私はこの時、「ああ、昭和は遠くなりにけり」なんて思いましたね。ちなみに、現在施行されている距離で一番古いダートのレコードタイムは1983年キヨヒダカが出した中山1800m1分48秒5でしょう。コースレコードですが、1800mというポピュラーな距離でいまだに残っているのは奇跡です。タケシバオーのレコードの37年間を上回る38年目に入りました。驚きのタイムです。