最近は、クラシックのローテーションが変わってきたと話題ですが、確かに昔はレースを使って競馬を覚えていくというのが基本みたいでした。距離も短い距離から始めて段々長くしていくというのが当たり前のようでした。今は違いますね。いきなり1800mや2000mの新馬を使えます。勝てば、ローテーションを空けて、疲労を取りながら次のステップへ進むという感じでしょうか。トレーニングセンター以外に民間の優れた施設ができ、馬をリフレッシュすることが出来るからこそ有力馬は間隔を空けても走れるんでしょう。トレーニングの中身も充実し、坂路やプール、ポリトラックなど多岐にわたって調教が出来るようになり、レースで仕上げていた時代とは一変しました。
私が競馬を始めた頃、最初に熱中したのが、1970年のクラシック、東のアローエクスプレス対西のタニノムーティエの東西対決でした。対照的な2頭は、黒っぽい鹿毛で大柄なアローと栗毛でシェパードのようなムーティエは、東西のチャンピオンとしてぶつかります。競馬の醍醐味の一つは、強い馬同士が対戦し、雌雄を決する戦いにあります。この時のタニノムーティエのローテーションが凄いのです。7月にデビューしてから暮れの阪神3歳ステークスまで9戦7勝。更に年明けから、きさらぎ賞、弥生賞と休む間もなく走り続けました。一方のアローも朝日杯3歳ステークスで関東のチャンピオンとなり、6連勝でスプリングステークスに向かいます。ここで両雄が初対戦となります。13頭立ての好位を進んだアローに対してムーティエは中団の後ろ、直線に向かった時は10馬身差はあったでしょう。アロー楽勝かと思われた時、テレビ画面の外からムーティエが一気に追い込み、3/4馬身抜き去りました。何という末脚!上り3ハロンは当時としては驚異の34秒3でした。私たちはこの数字を何度も話の種にしたものです。当時は36秒台が普通でしたから、本当にびっくりでした。
前年の天皇賞春で、怪物と言われたタケシバオーが上がり34秒台で勝利しましたが、この天皇賞は良馬場で3分29秒1という遅さ。道中14秒台が続く調教並みの時計でした。これでは、34秒台が出ても驚きませんね。その前年のレースは不良馬場で、ヒカルタカイが大差で勝った時のタイムが3分24秒6でしたから、不良馬場より遅い良馬場として、とても価値のないレースでした。とにかくムーティエは、桁外れの馬でした。皐月賞、ダービーと勝ち三冠確実といわれましたが、夏の放牧中にぜん鳴症という、のどの疾患にかかり、菊花賞を惨敗後に引退しました。今でも恐ろしく強い馬だったと思っています。出生地の北海道静内カントリー牧場は、実業家の谷水信夫氏が設立した新しい牧場で、谷水氏のハードトレーニングは凄まじく、20頭の育成馬で残ったのは5頭のみという恐怖のトレーニングで鍛えられたムーティエは、ダービーが15戦目でした。ちなみにダービー馬のダービーまでの最多出走記録は、同じく谷水氏の持ち馬だったタニノハローモアで17戦目でした。
タニノムーティエは、期待されて種牡馬になりましたが、産駒は走りませんでした。一方敗れたアローエクスプレスは、種牡馬として大成功。内国産種牡馬として全日本リーディングサイアーになったほどです。持って生まれたスピードは遺伝するが、トレーニングで得た勝負強さなどはあまり遺伝しないのではないかというのが私の感想です。オグリキャップやテイエムオペラオーのような勝負強い名馬も種牡馬としては成功しなかったのもそういうことが原因かと考えたりします。
今は、牡馬は年明けぶっつけか、共同通信杯1戦ぐらいが最善のローテーションになりつつあります。かつての弥生賞やスプリングステークスは王道と呼ばれましたが、時代は変わりました。これも調教技術の進歩や調教設備の充実が成されたからでしょう。
若い頃、カントリー牧場を訪ねたとき、1頭、緑一面の中で佇んでいたタニノムーティエを思い出します。