もう少し、野球と競馬の話です。南海ホークスが無くなった時、私たちホークスファンは今後どうするのかで意見が分かれました。もう南海ホークスじゃないからファンをやめるという人、福岡へ行って名前が変わっても応援するという人、杉浦が監督でいる間は応援するという人、私は三番目の意見でした。
杉浦忠、史上最高のサブマリン、プロ野球選手とは思えないメガネの紳士という風貌でしたが、全盛期の下から浮き上がってくる球は誰も打てませんでした。長嶋茂雄と共に立教大学の黄金時代を作りましたが、在学中から二人は、立教OBで当時南海の主力選手だった大沢氏から何かと援助を受けていたのです。二人とも南海に入る約束をしていました。しかし、長嶋家を訪れた巨人のスカウトが、好条件を餌に兄に近づき、それを重視せざるを得なかった長嶋を口説き落としたのです。長嶋は、鶴岡監督と大沢氏の前で土下座して謝罪したそうです。鶴岡さんは快く受け入れ、同行した杉浦に「君はどうなんだ?」と問いました。杉浦は「僕は約束は守ります。お世話になります」と答えました。
杉浦は、入団2年目の1959年、38勝4敗という驚異的な成績を残し、巨人との日本シリーズでも4連投4連勝の快投を見せました。南海悲願の日本一に20万人を超えるファンが御堂筋パレードに参加しました。杉浦は、試合後「一人になって泣きたい」と名言を残しています。杉浦の引退試合を私は見に行きました。巨人とのオープン戦でした。長嶋の打席でマウンドに立った杉浦。忖度しない真剣勝負に長嶋はセンター前に綺麗なヒットで答えました。セレモニーでは、心温まるスピーチで観客に感動を与えました。長嶋茂雄は本当にナイスガイでした。プロ野球をメジャーなものにした立役者は紛れもなく彼でしょう。
杉浦が監督になったころ、ホークスは福岡へ身売りされます。お別れの球場で満員のファンの前であいさつに立った杉浦は、「それでは行ってまいります」と手を上げ、私たちは拍手で送りだしたのです。杉浦が監督を引退したのち、私はホークスファンを卒業しました。思えば、関西では、南海、阪急、近鉄と電鉄会社が運営していたプロ野球球団は阪神を残して撤退したのです。私もセリーグでは阪神を応援していたので、今では阪神の試合ばかり見ています。南海ホークスは今や遠い昔の思い出として私の中にあります。
日本の野球も競馬も世界を目指した歴史はよく似ています。ハクチカラが海外遠征のパイオニアなら、南海ホークスの村上雅則投手は、日本人初のメジャーリーガーです。日米野球も最初は大差で負けてばかりでしたが、今や互角の成績を残すほどになり、日本人のメジャー選手も増えました。競馬のジャパンカップも最初の頃の惨敗が嘘のように、今や日本馬の強さは世界中に名を知られています。どちらも推理できるところが面白いのです。競馬はもちろんですが、野球でも一番面白いのが、同点あるいは1点差のゲームです。追いつきたい方と守り抜きたい方の攻防がファンを引き付けます。9回1点差で負けている方の先頭打者が出れば、そこからどう攻めるのか、それを推理するのが醍醐味です。バントでランナーを進めるか、ヒットエンドランを強行するのかなど、緊迫した場面を楽しめるのが野球です。頭のスポーツともいえるでしょう。去年中止になった高校野球が今年は開催されました。春はセンバツから。そして、GⅠレースも始まります。今年の桜は早咲きと、便りが届いています。桜花賞は葉桜の中かな・・・。