名馬の訃報が続きます。シーザリオに続き、ジャングルポケットも天に召されました。シーザリオは、3頭のGⅠ馬を生み、それらはすでに種牡馬として活躍中です。今後日本を代表する大きな系統になっていくことでしょう。ジャングルポケットは、2001年にダービーとジャパンカップを3歳で勝利。これは今も破られていない偉業です。ジャパンカップは斤量差もありましたが、王者テイエムオペラオーを下しました。いかにも東京コースに強いトニービン産駒でした。種牡馬になっても活躍し、ベスト20以内に何度も名を連ねました。GⅠレースも、ジャガーメイル、オウケンブルースリ、トーセンジョーダンなどが力強く制覇しました。

 

 2頭ともほぼ天寿を全うしましたが、今日3月5日は、名馬テンポイントの命日です。テンポイント忌は、私が勝手に名付けているのですが、私が50年以上競馬を見てきて1頭選べと言われたら、迷わずこの馬を選びます。サラブレッドの理想というイメージに最も近い存在だったと思うのです。今も悲運の名馬として多くのファンに語り継がれる存在です。数奇な運命に導かれた彼の生涯を思う時、43年前を昨日のように思い出すのです。前年の有馬記念でライバルだった天馬トウショウボーイとの世紀の一戦に勝ち、海外遠征も決まっていたテンポイントは、壮行レースとして選んだ日経新春杯で悲劇に襲われます。それは寒い寒い日でした。

 

 関西テレビの名物アナウンサー杉本清の名実況「あたかもテンポイントの門出を祝うかのように、粉雪が舞っている京都競馬場です」しかし、4コーナーの手前、テンポイントは後退します。故障発生。場内に悲鳴がとどろきます。杉本アナ「何としても無事で、と、何としても無事で、と願っていたお客さんの・・・気持ち・・・もう・・・通じません」 大骨折でした。馬運車の中で、予後不良の判断が下されます。了解を求められた高田オーナーは、せめて、栗東まで運んでもらえないかと頼みました。生きて我が家へ帰してやりたかったのでしょう。普通なら薬殺の処置がとられるほどの状態でした。異例の判断で、テンポイントは栗東へ運ばれます。その後、事態は動きます。ファンからの電話が競馬会や厩舎、馬主の所へ殺到したのです。「何とか助けてやってくれ」ほとんどがそんな声でした。大半が泣き声で頼んでくるのです。ついに獣医師30数名による大手術が行われ、テンポイントは回復の兆しさえ見せ始めます。しかし、魔の蹄葉炎が彼の体を蝕み、43日後に天に召されました。事故以後厩舎に寝泊まりして看病を続けた厩務員の山田さんは、記者会見での質問に「テンポイントが死んだのにそんなこと聞くなよ!」と泣き崩れました。NHKの昼のトップニュースにもなったテンポイントの死は社会に衝撃を与えました。66,5キロというハンデに不安を感じていた人も多かったと思いますが、誰も真正面からそれを言える人はいませんでした。皆テンポイントを見たかったのです。

 

 その後機会を見つけては、命日の3月5日に私は神戸青谷のの妙光院へお参りしました。大きな馬頭観音が祭られているこのお寺は、愛馬の無事を祈る競馬関係者も多くお参りしています。テンポイントの死の後は多くのファンにも会いましたが、さすがに43年、今はひっそりとしています。あいにく今日は雨で、コロナもまだまだ怖いので私は遠慮しましたが、収まった時はまた訪ねようと思います。それにしても何故、京都競馬場にテンポイントの像が作られなかったのでしょう?それが残念でなりません。まぁ、私の中ではテンポイントは永遠ですが・・・。