関東から関西へ転居したTE氏は、関西でも馬クラブを作ろうと思い、週刊「馬」の読者ページに呼びかけの文を載せてもらいました。1978年の菊花賞の日にシンザン像で待ち合わせという事でした。私は勇躍出かけて行きました。関東の馬クラブの人たちも来ていて、10人ぐらいが集まりました。今でもその中の何人かとは年賀状のやり取りをしています。こうして関西馬クラブが発足しました。
ちなみにその年の菊花賞は、武邦彦(ユタカのお父さん)騎乗のインターグシケンが勝利し、キャプテンナムラが2着でした。キャプテンナムラの父はシンザンで、シンザンファンの私は5600円の枠連を取りました。その3年後、シンザンはついにミナガワマンナにより菊花賞馬の父となったのです。
関西馬クラブを発展させようと、TE氏と私は大阪ミナミのアメリカ村の喫茶店で例会を持つことにしました。関東馬クラブでは早くから同じことをしていたのです。しかし、例会を載せてくれる「馬」誌が関西では売っているところが少なく、目に留まることがなかったようで、来る人はあまりいなかったのです。ある時、腹巻に札束を入れたおっちゃんが来て、馬券の話をしましたが、私とTE氏は、血統の話をよくしたので、おっちゃんは、そんなことには興味がなさそうで、「わしの思ってるような場所ではなかった」と帰っていきました。
結局、人は集まらず、最初の菊花賞での出会いの人たち、7~8人でPOGを始めました。私は競馬サークル誌を作りたいとTE氏に頼み、ガリ版刷りのサークル誌「エクリプス」を発行するようになり、そこでPOGもやり始めたのです。当時そんなサークル誌があちこちにありました。一度優駿で、「エクリプス」の他に4つぐらい紹介をされました。その中に慶応の学生さんのものがあり、面白い内容でした。それを主宰していたのが、今や競馬評論家で海外競馬に詳しい合田直弘さんです。
あれから数十年。今や高齢者の仲間入りをした私とTE氏ですが、まだまだ競馬への情熱は冷めず、一時マンネリ化したPOGをTE氏が再び生き返らせてくれました。メンバーも少し変わりましたが、楽しく続けています。最初の5頭持ちの時代に、ナリタブライアンやヴィクトワールピサやディープインパクトなどを持つ人がいるほど皆さんのレベルは高かったと思います。今は9頭持ちです。この話、まだ続きます。
さて、明日の共同通信杯に、今日のクイーンカップを除外されたレフトゥバーズが出てきました。只1頭の牝馬で、新馬勝ちをしたばかりの挑戦は厳しいものがありますが、その新馬戦の内容が凄かった。418キロの小さい馬ですが、父ディープインパクト譲りの末脚は、目を見張りました。相手はさすがに強そうですが、牝馬の強い時代、侮れませんね。注目の挑戦です。