新年あけましておめでとうございます。今年も競馬四方山話にお付き合いください。

 

 昨年は、牝馬が大活躍の年でした。個人的には、ウオッカ辺りから競馬人の意識が変わったのではと思っています。

私が競馬を始めた頃の思い出の牝馬を紹介します。1966年生まれのトウメイという馬です。北海道の小さな牧場で生まれたトウメイは、流転の人生を送ります。父のシプリアニはまだ実績がなく、母は未勝利馬でした。身体が小さく見栄えがしなかったトウメイは、競りで平均の半分の165万円で大井の調教師に落札されます。その調教師が急死。仲介した中央の清水茂次調教師が他を当りますが、誰も拒否。仕方なく清水師は、引き取りますが、馬を見て厩務員の誰もが手をあげず、1日厩舎の前で留め置かれていました。ネズミのような馬と言われたそうです。

 

 ところが、デビューするや、評価は一変。2歳時6戦4勝の大活躍で、一躍桜花賞候補になります。しかし、桜花賞はヒデコトブキの2着。オークスはシャダイターキンの3着に敗れてしまいます。その頃、また清水師が急死。坂田正行厩舎に移籍します。まるで、今の朝ドラ「おちょやん」みたいですね。3歳時は11戦を戦いました。重賞は京都4歳特別だけでしたが、掲示板を外したことはありません。4歳時は、マイラーズCでダテホーライ以下の男馬を退けましたが、右後肢に故障発生で3戦のみに終わりました。そして充実の5歳を迎えます。8か月ぶりのオープンで復帰。この頃から好位差しから追い込みに脚質転換し、末脚は凄みを増していきました。

 

 この頃、私もやっとこの馬に注目しました。騎手も清水英次騎手に落ち着き、マイラーズカップを連覇します。相手は、ダテテンリュウなど一流馬でしたが、外から素晴らしい追い込みを決めました。更に阪急杯不良馬場で58キロのトップハンデを背負い、小柄なトウメイは21頭の中で見えなくなりましたが、直線、泥にまみれての追い込みは凄まじく、3馬身突き抜けます。この時、彼女は尻尾をぐるぐる回しながら追い込んできました。尻尾を回すのは苦しいからだと言われています。不遇な流転人生に負けまいと?力走する姿がそこにありました。

 

 秋、本格化したトウメイはオープンを一叩きして東上します。そのオープンは、快速ウチュウオーが、意表を突き、途中からまくっての大逃げに、他馬は離れた中、ただ1頭トウメイが尻尾を回しながら追い込んできましたが届かず2着。それは、関西に別れを告げるかのようでした。

 そして、伝説の牝馬東京タイムズ杯です。重馬場で59キロという牝馬にとって究極のハンデを背負ったトウメイは、後方のまま大外から府中の直線に向かい、馬なりで他馬を交わして行きます。最後まで鞭は入らず、追い込み勝ち。私がこれと同じシーンを見たのは、オグリキャップのニュージーランドTでした。トウメイ以後重賞で59キロで勝った牝馬はいません。目標の2マイルの天皇賞は、距離に不安があると囁かれましたが、スピーデーワンダー、アカネテンリュウ、アポスピード、ダイシンボルガードなどの強敵を外から力強く差し切りました。ここでも鞭は使わず。トウメイは、鞭を嫌がる馬だったのです。元調教師の西橋豊治氏は、騎手時代1回だけトウメイに乗りましたが、馬がレースを知っているかのような反応だったと述べています。この頃私はトウメイの大ファンになっていました。天皇賞の馬券もとり、大満足のシーズンでした。本当に強い馬はマイルでも2マイルでも勝つんだという事を学びました。(今は少し違いますが・・・)

 

 トウメイは、最後の戦いの有馬記念に向かいます。ここで思わぬ事態が・・・。馬インフルエンザの発生でした。多くの馬が感染し、出走取り消しが出ました。有馬記念はわずか6頭立て。流転の人生を歩んだトウメイに天からの贈り物だったのかも…。中山は初コースだったトウメイでしたが、野平祐二騎手のコンチネンタルが絶妙の先行策で抜け出すところをあっさり捕えました。この時トウメイは外へ膨れたので、初めて鞭が入りました。最後の鞭、お別れの鞭でした。この後牝馬が有馬記念を勝つのは、ダイワスカーレットまでありませんでした。今の名牝は皆立派な馬格をしていますが、トウメイは430キロ前後の目立たない馬でした。どこにそんな力があったのでしょう。馬は見かけではないことも教えてくれました。

 

 年が明け、関東の競馬は2か月ストップ。トウメイは引退式も行えず、彼女らしくひっそりと北へ旅立ちました。31戦16勝2着10回。連対率実に8割3分9厘。31戦すべて掲示板に乗せた記録も文句なしで、牝馬初の年度代表馬となりました。あの凍上前のオープンに勝っていたら、有馬まで8連勝だったのです。彼女は女傑と言われましたが、外からそんなイメージは微塵もありませんでした。

 

 引退後、馬主の近藤氏は、トウメイのために十勝で牧場を開設しました。私は友人とトウメイに会いに行きましたね。トウメイは目立たず、同僚の牝馬の陰に隠れるような大人しい馬でした。14頭の産駒に恵まれ、31歳まで長生きしました。内臓が丈夫だったのでしょう。代表産駒はテンメイです。母と同じ天皇賞秋を勝ちました。同じ馬番、同じ着差、騎手、調教師、厩務員も同じという奇跡の物語です。まさに天命。このレースを勝つために生まれて来たかのような馬でした。天皇賞を勝った牝馬が天皇賞馬を生むこともなかなかありません。ドラマチックな馬、それがトウメイです。近藤氏が亡くなっても、遺言でトウメイの死まで牧場は存続し、閉鎖後も墓は牧場の片隅にあり、お墓参りをするファンがいたとのことです。