ビワハヤヒデが死んだ。30歳でした。安定感ある芦毛で、デビューから15連続連対し、16戦目の秋天で故障して5着でした。10勝中GⅠ3勝。菊花賞、春天、宝塚記念に勝ち、2着5回。弟が三冠馬のナリタブライアンで、兄弟対決が話題になったが、実現しませんでした。

 同期のウィニングチケット、ナリタタイシンと三強と言われましたが、秋以降はビワハヤヒデの1強になっていきました。

 

 三強の名前が初めて出たのは、1968年のタケシバオー、マーチス、アサカオーからです。ダービーはこの三強を尻目に、タニノハローモアが逃げ切りましたが、皐月賞はマーチス、菊花賞はアサカオーが勝ち、皐月賞、ダービーの2着はタケシバオーでした。タケシバオーは菊花賞には出ず、アメリカの招待レースであるワシントンDCインターナショナルに出走しましたが、当時の外国馬はさすがに強く、最下位でした。

 4歳になってからは、タケシバオーの独壇場で、短距離から長距離まで勝ちまくり、1強になってしまいました。

 

 1972年には、ロングエース、ランドプリンス、タイテエムが関西三強と言われました。皐月賞をランドプリンス、ダービーをロングエースが勝ち、秋にはタイテエムが上位に来ましたが、関東馬のイシノヒカルが菊花賞、有馬記念を連勝しました。特にダービーでの三強のデッドヒートは、今でもダービー史上に残る名勝負と言われています。タイテエムは、翌年の春の天皇賞でやっと勝利し、杉本アナウンサーに「無冠の貴公子に今春が訪れます」と言わせています。ハイレベルのこの年の馬たちは激戦のせいか、次々と故障しましたが、代わりにまたハマノパレードやタニノチカラなどが出てきて、他世代を圧倒しました。オールドファンは、史上最強世代と言います。

 

 1976年には、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの豪華三強が出現します。この三強は、最後まで三強でした。有馬記念を三頭が勝っています。三頭がGⅠ級を3勝ずつしているというのは空前絶後で、最高の三強と言えるでしょう。

 紹介した以外にも三強と呼ばれた時代はありました。三強が出現する時代は盛り上がります。またいつかそんな時代が来るでしょう。