帝王賞は、昨年の最優秀ダートホースのクリソベリルが直線抜け出し、連覇を目指したオメガパヒュームを抑えて快勝。国内無敗で春のチャンピオンになりました。一昨年の最優秀ダートホースのルヴァンンスレーヴは体調が戻り切っていないのか大敗。明暗を分けました。

 

 さて、今週は春競馬の掉尾を飾る宝塚記念です。暮れの有馬記念と同じくファン投票で選ばれた馬たちが集うドリームレースです。しかし、このレースは、時期的にメンバーが集まりにくい傾向にあります。3歳馬はオークス、ダービーを一杯に仕上げて戦っているため、ほとんど参加をしません。また、蒸し暑い時期でもあり、参加を見送る馬も多いのです。今年もファン投票1位のアーモンドアイも、春の天皇賞を勝ったフィエールマンも不参加です。JRAでは、イギリスのキングジョージ&クインエリザベスSのようなレースにしたいのですが、なかなかそうはいきません。それでもまずまずのメンバーが揃いました。

 

 過去のレースで思い出に残っている三つのレースを取り上げてみます。1977年のレースはわずか6頭立てでしたが、5頭までがGⅠ級のレースを勝っており、残りのホクトボーイもその年の秋に天皇賞を勝ちました。まさに少数精鋭でした。春の天皇賞を勝っていたテンポイントが本命で、ライバルのトウショウボーイは半年ぶり。当時は休み明けの馬はなかなか勝てない時代でした。レースは、トウショウボーイ武邦彦が迷わず逃げの手に出ました。武豊のお父さんで、名人と言われた人です。ニックネームはタケクニでした。テンポイントの鹿戸明騎手は、後ろのグリーングラスやアイフルといった強豪の出方をうかがって前のトウショウボーイを楽に行かせてしまいました。スローで前半を逃げたトウショウボーイは、残り1000mを1分を切るラップで駆け抜け、テンポイントの追撃をかわしたのです。さすが天馬と言われたトウショウボーイです。テンポイントからはるかに遅れてグリーングラスが3着でした。トウショウボーイの強さ、タケクニの上手さに翻弄されたわけです。私はこのレースを今は入れない阪神競馬場の内馬場から見ていました。当時は内馬場が解放されていたのです。そして、モノクロで写真を撮っていたのです。テンポイントと鹿戸騎手は、この教訓を暮れの有馬記念で晴らします。世紀の一戦と呼ばれたレースは、この宝塚記念が伏線になっていたのです。

 

 二つ目は、翌1978年のレースです。ここは、天才と言われた福永洋一騎手(福永祐一騎手の父)の面目躍如のレースでした。エリモジョージに乗った洋一騎手はいつもの逃げ戦法に出ます。他の騎手は分かっているのですが、まるで魔法にかかったかのように追いかけられません。本当に魔法のように4,5馬身から6,7馬身と差をつけていくのです。気がつけばセフティリード。洋一騎手はしてやったりとゴールを駆け抜けました。この二つのレースは、タケクニさんが名人、洋一さんが天才と呼ばれた二人の輝かしい時代の一面でした。

 

 三つめは、1988年のタマモクロスです。この馬は見栄えのしない、ひょろっとした芦毛の馬でしたが、恐ろしく強い馬でした。急に強くなって前走の春の天皇賞まで連戦連勝。しかし、ここに待ったをかけるべき参戦してきたのが関東の強豪ニッポーテイオーでした。秋の天皇賞や安田記念などスピードで勝ちまくった見栄えのする立派な馬でした。騎乗する関東の剛腕郷原騎手は自信満々で、乗り込んできました。距離や小回りコースからニッポーが1番人気で差がなくタマモクロスでした。タマモの底力を信じていた私でしたが、ぎりぎりでタマモがニッポーを交わす場面を予想していました。ところがレースは逃げるニッポーをタマモクロスは直線あっさりと抜き去ってしまいました。呆れるくらいの強さでした。ニッポーの郷原騎手も苦笑いしたほどです。

 そして秋、タマモクロスは同じ芦毛の怪物オグリキャップと死闘を繰り広げるのです。それは、第三次競馬ブームの真っただ中でした。

 

 宝塚記念の問題点については、次回に。