昨日は、月1回の友人たちとの歴史街歩き。今回は京都伏見の酒蔵巡りでした。

老舗の月桂冠大倉記念館へ行くと、昨日まで試飲ができたのに、今日からコロナ

ウィルスの影響で取りやめになったとのこと。影響はあちこちに出ていましたね。

私はあまり飲めない方なので、試飲不可は気にならなかったが、のん兵衛の友人

は悔しがっていました。

 丁寧にガイドをしてもらった後、昼間からやっている近所の居酒屋へ向かいました。

友人の一人がこの間の私のブログの、アングロアラブについて「俺は、イナリトウザイ

が印象に残ってるなぁ」といいました。「ああ、知ってる。アラブの魔女といわれた快速

馬やね」と話が弾みました。

 

 イナリトウザイは、1973年にデビュー。圧倒的なスピードで連勝。サラブレッド相手

にも勝利を収めましたが、当然クラシックには出られないので、大井競馬へ移籍。当時

の地方競馬のアラブ系はレベルが高かったのですが、ここでも強さは変わらず、アラブ

ダービーなどに優勝。再びサラブレッドに挑戦したのです。それは、東京杯という重賞

レースでしたが、1200mで1分10秒5という大レコードで圧勝したのです。

 父親はサラブレッドのカリムという快速馬でしたからおそらくその血が大きく作用した

のでしょう。母はアングロアラブでしたが、母の父もサラブレッドのヒシマサルというスピ

ード馬でした。アラブ血量25%でしたが、サラブレッドの血が濃く出た例でしょう。

 

 この当時のもう1頭の魔女といえば、テスコガビーでしょう。とにかく強く速い馬でした。

また青毛の大きな馬体は凄みがありましたね。有名な杉本アナウンサーの桜花賞の

名実況では、「後ろからは何にも来ない!赤い帽子がただ一つ。ぐんぐんぐんぐん

ゴールへ向かう。これは恐ろしい馬です」この実況がすべてを物語っています。桜花賞、

オークスの二冠を制し、魔女といわれました。残念なことに復帰を目指していましたが、

心臓麻痺により永眠しました。牝系が残らなかったのは本当に悔やまれます。一方の

イナリトウザイは、アングロアラブのリーディングサイアーに4度も輝いたキタノトウザイ

などを輩出し、一時代を築きました。しかし、やがてアングロアラブのレースはなくなり、

思い出の中に封印されてしまいました。