戯言です。


定期通院、デイケアなどなど、いろんな場面で父が「愉快な人だね」「元気だね」「面白い!」と褒められることが最近増えました。


裏を見てみれば、私の苦労(笑)や、あれも我慢して、これも我慢して、その上に成り立ってるんだ!と卑屈に思うこともしばしばです。←ダメダメ(笑)


そもそも、ヤサグレ気味ですから、介護が大変で大変でもあの世に行った時に優遇されるための、もしくは、今世で酷く困った時に助けてもらうための徳徳ポイント集めだ!とそれくらい今幸せになることを目指していない、損得勘定全開ですよ。


元々、父は無口で頑固だけど温かくて優しくて、面白いし愉快なとこもあるし、人に好かれるところもあったしで、元々の気質が人から好かれる人であると認識してたので、特に私がどうこうしたからだ、とか、どうとも感じたことはありません。


しかし、先日、定期通院で父がお医者さんから


「いや、本当に〇〇さんは元気だね!」


と褒めていただいた時に、ふと、


これって私の表現の一部ではないか?


と不思議と思えたのです。


ええ、あんなに我慢したと、言っていてもです(笑)


つまり、クオリティは別としても私は何もクリエイトしてないこともなく、表現もしていないわけではないとわかった感じです。


社会人の時も、介護に入った時も、私はインプットばかりでアウトプットがない、人生において自分を表現するものが何もないといつも思い続けてきましたが、そうじゃなかったのかもと思えました。


他人である、身内以外からの、誰かからの評価に値する


作品を作る


人に感動を与える


仕事をすることで社会に貢献する


社会の役に立つ


そんな価値あることが表現で、自分がしたインプットに対するアウトプットだと思っていたのです。


私は価値あることが何も表現できてない、と。


父は作品ではないですが、


私がなるべく朗らかにすること


父が笑えるような機会を作ること


父が喜べるような経験を一緒にすること


父が美味しいと思って食べてくれるものをなるべく心掛けて(笑)作ること


父の健康に気を配ること


これらは父を観察したり、様子を見て食べるものの調整をしたり、お料理本を読んだり、その積み重ねが父に反映されて、父が


愉快に振る舞えたり


誰かを和ませたり


誰かを笑顔にしたり


父が自分の元気を表現してくれ評価されたとしたら···


それは私のアウトプットである。


と言ってもいいんぢゃないかと、やっと思えました。


それには、父が受け入れてくれているから成立してるわけなのですが。


人生で何よりの修行ですよ、私にとっては。


修行しちゃダメと仰る向きも昨今ありますが、いーぢゃないか、修行でも。


そんなに嫌ならやめちゃえば、と、何度も他人からも言われたし、自分でもそう思ったし、でもやめられないのは自分のせいだとも思っていました。


今も思ってます。


決して完璧な介護ではないし、頑張ってやっても失敗するし、クオリティはイマイチだし、きちんと自分の求める魂のお仕事をしながら、より立派に完璧にやってる方は大勢いるのでちゃんちゃらおかしいと思われる方もいると思いますが、


人生の中で


対 当社比で(あくまで、この云十年の自分の人生、の様々に努力してきた場面と比べて)


こんなに努力したことはない


私の努力の賜物 「父」 です。


父が好きなので、頑張りたいので頑張ったのだと思います。


近くで大切に思う人が苦しんでいたら、なにもしないではおれない。


一方で、ままならないことに心に澱が溜まり、今も正直、心の澱を友達に聞いてもらいながら解消して頑張ってます。


子育てしてる方も、介護してる方も、さらに言えば、それらプラスお仕事頑張ってるすごくやってる方も自分の満足不満足はとりあえず横においておいて、どんな形にせよ、アウトプットや表現がないと思われてる方は、何某かを表現をしてると思っていいのではないかなと思いました。


良き悪いは一度脇においておいてとしてですよ。


自分がした表現に対して評価もなきゃ貢献もないかもしれませんし、それをその後続けるのかどうするのかは、それが得意か不得意か、追求したいのかそうでないのか、対象に対して好きか嫌いかなどなど、そこが自分の土俵なのかどうなのかによって変わってくるかもとは思いますけども、とりあえずその期間、


私、何にもできていない、なんにもしていない、何者でもない


と思った時に私にはこの気づきが救いになったことなので、投稿してみました。


人から評価されてもわかんない時はたくさんあります。


私も友人からよく頑張ってるよと褒められても腑に落ちないでよくわからなかった人なので、介護とかに重きを置いてない方には何でもない話ですが、どうにもこうにもやるせない方の一助になれれば。


何言っちゃってんの?と思われても仕方ないっす。


そして、母の介護の時にもそう思えていたらもっと良かったのかもと少し切ないながら、今、そう思います。