久々にブログを書きます。
自分の節目なのかなと。
目の調子がこのところ悪くて、先週眼科に行ったところ、加齢による要因と先天的な要因から来るものだとわかりました。
今のところ、加齢による目の不調は病気ではないし、先天的な要因からきてるものはこれと言ってお医者様が予防的処置で対処できることはなく、
飛蚊症がひどくなったり、視野が欠けたら急いで来てね
というものでした。
眼科的には、今はこの状態に使える薬もないし、私のやれることは目を労ることだけ。
現実的な処置をしたうえで、
見たけど思い当たりすぎて、笑うしかない。
目の使いすぎは心の逃避行のために(笑)このところ、スマホでゲームしたり、ユーチューブ観たり、SNSサイトで知らない人のためになる面白い投稿を観て、急に目に負荷をかけすぎたのだろうと思います。
他に自分の息抜きの方法が思い当たらなかったのです。
でも、ゲームはアンインストールして(バイバイ)、ユーチューブは観るのを圧倒的に減らしてます。
そうなってみて、結局、時間の制限や移動距離など制限がある生活をしてるので、何かに集中できる時間がなく、あと、忍耐力がなくなってきて、集中力も弱り、面倒くさいことばかりが私の周りにあります。
やるべきことはやってはいますが、いかにやらないで済ますかに注力もしてます。
年齢のせいではなくて、生きる気力の問題なんだろうと思うとね、上のサイトの内容がよく頭に入ります。
一日一日を死ぬまで積み重ねていく中で、父の介護をなんとか全うしたいと思うと、母の介護の時期からずっと緊張や不安は続いていると思いますし、反面、日々どうやって父と楽しく過ごすかを模索しているので、今回の目の不調は思ったよりショックでした。
今は『父と楽しく一緒に暮らしたい』がやりたいことで、そのためには好きではないことも頑張ってやっていて。
不安や緊張はあるけど、ここしばらく、目の不調さえなければ平穏無事でした。
だだ、今回のことを通して、私にとっての平穏無事についてはそこに自分が入ってないということにも気づきました。
私以外の家族や知人、友達たちが平穏無事でないことは信じられないくらいストレスなのに、私自身の身体が平穏無事はあまり頭にはなく、自分も含めて平穏無事でなければ、私の願う平穏無事が平穏無事ではないと思っていなかったのです。
つくづく、バカだなあと思いました。
私に何かあれば、もちろん、弟妹たちがどうにかしてはくれると信じておりますが、けれど、
★父は思った通りの生活はできなくなるかも
★私は私の役割を果たせなくなり、彼らに迷惑をかけてお金をかけさせて世話になり、自己嫌悪や罪悪感に苛まれる(生きてれば)かも
と言う不安に思い至りました。
これは、避けたい(笑)
その上、私の大切な友達の一人にそれを話したら、私を想うばかりに、メッセージのやり取り禁止になってしまいました。
いつになったら禁止はとかれるのか、私の目に何か処置が施される状況になればお付き合い再開なのか。
処置が施されるのは事が起こらねばないわけだし。
私にことが起こらないで一生が終わるとしたら、その人はどうするんだろうな、とか、想う。
目を労るために、友達を一人失ったような気分です。
メッセージのやり取りは目の負荷になるからと思ってくれたのでしょうね。
でも、私は
ああ、私を想ってのことだと感謝はすれども、話すのではなかった
と思いましたよ。
だって、数少ない心の拠り所の1つなのに、目の変調により楽しいメッセージのやりとりだって失くしてしまった。
心配してくれてのことだから、いや、大丈夫と言って、やり取りしてる時に目に何かあれば相手を困らせると思ってそれ以上、メッセージのやり取りできないのは悲しいよと感じましたが、説明するのもやめました。
労る以外にやることがなければ、それを全うせよと与えられたことを全うせねば。
でも、自分の気持ちを伝える場所を減らしてしまった。
後悔があります。
言うんぢゃなかったな。
その相手に私の目が不調だと知らせないでいることは良くないかと思っていたけど、知らせなきゃよかったと。
それでも、受け止めてくれる友達がいるから、労りつつ、受け止めてくれるその人とやり取りすればいいかなと。
それはそれとして、私は困っていようがいまいが生きてるだけで迷惑かけあってるんだから、人間なんて誰かが誰かにその時にできることをするのは、お互い様よ、とは思っていても、いざ誰かの世話にこれ以上なると思ったら、気持ちがぐったりしていました。
これが私のエゴです。
そして、
制限や禁止は自分が作っている
とはよく言ったもので今は
制限は外側のせいではなく、自分のせい
と、大変よく理解できますが、とうとう自分だけでなく、人からも禁止されてしまった。
不養生の成れの果てです。
その制限や禁止を乗り越えてまで何かをやる、何かをやりたいなんて今は思えません。
今やれることを精一杯。
平穏無事を心から祈り、日々感謝して生活していきます。

