ああ、そうか。


全てが与えられているという考え方なんだな。


「欠乏」も「奪われること」も「不足」も何か自分にとってのマイナスやネガティブは。


なにか自分にとってのネガティブもポジティブも全てまずは


与えられている


というスタンスから始めるんだな。


なるほど。


「ある」が与えられている。


「ない」が与えられている。


二元的なものとして例えば、白と黒とそこにあるならば、与えられている。


両方とも受け取れるし、片方だけ受け取れるし、両方とも受け取らない、なんなら、そもそも与えられていることに気づかないかもしれない。


誰が与えるのか与えないのかではなくて、与えられていても、それを受け取るか受け取らないかは自分次第なんだな。


何かが私に対して何かを与えていて、その経験をするかしないかは私が経験することを受け取るか受け取らないかにかかっている。


そこに残るのは


私が経験したこと、選んだこと


私が経験しなかったこと、選ばなかったこと


だけだ。


それが全てが与えられているということなんだな。


今までぜんぜーんわかってなかった(笑)


まだわからない。


相当な時間がかかってここまで来てるけど、気づくためだけの時間も与えられていたのでLUCKYなんだろうな。


全てを与えている存在と全てを与えられている存在と分かれているような気がするけど、その立場はぐるぐると入れ替わり立ち替わり渦を巻いてるのかもしれない。


「私」と「私以外のもの」


「私」は「私以外のもの」に与えられており、


「私以外のもの」は「私」に与えられている。


言葉の使い方だけだけどちょっとだけしっくり来た。