昔からまぢめで優しいと評されるうずです。
お久方ぶりです。
母を送ってあっという間の三回忌が過ぎて、ボーっとする暇もなく、父の介護が、母が逝ってしまう少し前から必要となり、今ここです。
家は年末年始が鬼門で、必ずこのあたりで体調を誰か崩すという。
今回は父でした。
救急搬送その後、急性の問題はなかったので帰宅しましたが、かかりつけ医への受診を勧められ、かかりつけ医への巡業をしておりました。
基本は
認知機能の低下に伴う疲労から来た症状
ということになりましたが、程度的にはあまりよろしくないので母と同じようにそばについて寝ることに。
それに伴い、久々に介護ベッドを借りて、トイレの手すりを借りて、と、介護生活真っ只中です。
その中で色んなところで私のまぢめや優しさの弊害を指摘され、落ち込み中でございます。
まぢめだからね、優しいからね、って私に誰かが言うのは褒めてないよねとつくづく感じます。
世の中はまぢめであることが悪!的に扱ってるのかなとよく私自身は感じます。
そんなに真面目ではないと思ってますが、そこが目立つんでしょうね。
昔は褒められてると多少思ったし、私の良いところだと思ったけども、
まぢめね
優しいわね
って言われると、ああ胸が苦しい、悲しい、とても褒められてるとは思えないなと最近は思います。
ここが変わりどころ!とか言われそうだけど、指摘されて悲しいけども、だから、変わろうとは最近は思わないです。
自分でこの悲しさ、引き受けて、落ち込みます。
なんて言っても、悲しいと思って落ち込むってことは、私はこのまぢめさも優しさも世間の私にそう指摘する人と同じだからということです。
私を大切にしてくれる人にも言われておりますけども、言われて何らかの責任がその人に生じているわけでもありません。
まぢめね、優しいねと言葉を放てば、その言葉を受け止めた私のところにやってきて放した本人にはなんにも残らないですものね。
そして、落ち込む、嫌な気分になるってのは私自身がまぢめや、優しさを否定的に見ているってことだもんね。
よろしくない。
まったくよろしくない。
まぢめね、優しいわねって言われても、そうなのよ、と自然にしている人が羨ましいわ。
私自身も更年期障害も出てますし、介護疲れも父のかかりつけ医から指摘され、その上、
お父さんのためにもあなたがイライラしてはいけない
と諭され、
もっとデイサービスやショートステイなどを活用しなさい
と言われました。
ここでも、まぢめが発動して、そして、母の時に色々怖い思いをしたこともあり、
お説、ご尤も
そのご指摘、当たり前
とわかっていますが、父が嫌がることはなるべくしたくないし、そこを我慢したかったのです。
けども、そこの気持ちは誰も興味がない。
でしょうね。
まあ、こんな事になりまして、皆から、父のことを考えるなら今の貴方の判断ではいかん、と、散々言われて、
あー、私の判断は悪いってことなんだなあ
と改めて落ち込みました。
判断が悪いという評価なら、信頼できる誰かの判断に従うしかありません。
実はいろんな形で立て続けに、褒められないまぢめや優しさを指摘され、派手に現状落ち込んでおります。
私と私の人柄はイコールではない
とはいえども、人格否定されたか?!と思うほど落ち込みました。
ともかく、落ち込むってことは私自身がそれを良いこと悪いことで判断してるってことだ。
そこはやめなきゃ。
「私」が可愛そうだ。
まー、それでも毎日を進まねばなりません。
しんどいですが、だからって、私は多分変わらないと思います。
父の取り扱いは判断の良い人たちの判断に任せて、粛々と父の世話係として働きます。
本当に非力で無力でございますからね、私。